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大磯・二宮・中井 社会

公開日:2020.10.09

安田善次郎 百回忌の年
大磯で暗殺された「銀行王」

  • 安田善次郎(国立国会図書館「近代日本人の肖像」より)

  • 大磯建物語【5】「旧安田善次郎邸」

 今年は、一代で安田財閥を築き「銀行王」と呼ばれた安田善次郎が大磯の別邸で暗殺されてから百回忌の年(99年目)にあたる。近代日本経済の発展に大きく寄与しながらも、非業の最期を迎えた安田の功績と大磯との関わりを振り返る。

 1838(天保9)年に富山藩の下級藩士(元は農民)の家で生まれ育った安田は、若くして江戸に出て玩具問屋や鰹節屋兼両替商などで奉公した。後に独立し、両替商として幕府の古金銀回収や明治政府の太政官札の取引などで成功して莫大な利益を得て以降は、銀行や生命保険・損害保険会社などに事業を拡大して安田財閥を築き上げた。日本銀行の設立や、経営危機に陥った数多くの銀行の再建にも携わっている。晩年は東京大学大講堂(安田講堂)や日比谷公会堂などを匿名で寄付していたが、1921(大正10)年9月28日に資産家への恨みを抱いた国粋主義者の朝日平吾に大磯の別邸・寿楽庵で刺殺された。生涯、勤勉・質素倹約の人であったと言われる。

 大磯で起きたこの事件は当時、衝撃をもって受け止められた。大磯町郷土資料館の所蔵する当時の助役日誌にも、助役が事件当日の予定を急きょ変更して安田別邸へお見舞いに行ったことや、10月2日に都内で行われた告別式に参列したことなどが記されている。

 寿楽庵のあった旧安田善次郎邸は、大磯駅から徒歩10分ほどの山裾にある。現在は安田不動産・大磯寮として管理されており、年に数回だけ特別公開されている。

 旧安田邸については、大磯まちづくり会議が安田の百回忌を機に今年2月に発行した冊子「大磯建物語【5】・旧安田善次郎邸」に詳しい。大磯駅前観光案内所や町役場で無料で配布している。

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