大磯・二宮・中井版 掲載号:2021年4月23日号 エリアトップへ

大磯歴史語り〈財閥編〉 第16回「岩崎久弥」文・武井久江

掲載号:2021年4月23日号

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長崎のグラバー邸にある麒麟像
長崎のグラバー邸にある麒麟像

 久弥が三菱合資会社の社長として事業を統括し、鉱業や造船を中心に幅広く発展させたのは明治から大正にかけてです。それは近代国家確立の時期でもありました。今回は、その久弥が個人的に関心を持ち、ことのほか心を砕いたと言われている二つの事業があります。それは「神戸の紙」と「横浜のビール」です。今回は先に「横浜のビール」を取り上げてみます。

 明治の初めからスプリング・ヴァレー・ブルワリー社(かつてグラバーが社長を務めていた)がビールを造っていました。横浜在住の外国人たちが岩崎弥之助や渋沢栄一ら財界人の出資を得て買収し、ジャパン・ブルワリー社としました。当時、ビールは日本人にはあまり普及していませんでしたが、総合代理店の明治屋が明治21年に「麒麟」のラベルで一般向けに売り出しました。因みに、当時はビールのラベルに犬やライオンなどの動物を使うのが世界的に流行っていて、ラベルの麒麟に太い口髭が描かれているのは、前の会社の社長を務めたグラバーの口髭を元にしています。長崎のグラバー邸に、その元になった麒麟の像があります。今回の写真はそれを掲載します。明治屋は、弥之助から資金援助してもらいロンドンに学んだ磯野計が成立させました。横浜に立ち寄る船舶に食料品や雑貨を納入する事をメイン・ビジネスにしていましたが、酒類の輸入販売業者でもありました。二代目社長・米井源次郎はジャパン・ブルワリー社の買収を計画し、中国視察に赴く久弥を追いかけて、上海航路の船上で直談判。全面支援の約束を取り付ける事が出来ました。明治40年、明治屋と岩崎家に日本郵船も加わり「麒麟麦酒株式会社」が設立され、買収は実現しました。その後、業界は熾烈なシェア争いが繰り返されることになりますが、久弥は一貫して麒麟麦酒を支えました。

 もう一つの「神戸の紙」は、弥太郎が土佐開成館長崎出張所の主任の時に土佐の物産を売り込む時の取引先がウォルシュ兄弟で、神戸で経営していた製紙工場に岩崎家が出資したのは、明治22年。弟のジョンが亡くなり兄も高齢になり事業を整理して米国に帰ることになった兄弟の持ち分を、久弥が買い取り、合資会社神戸製紙所を設立し、明治37年に三菱製紙所としました。当初は三菱合資会社の傘下にあり、久弥が社長を退いてからは岩崎本家の事業として位置付けられましたが、久弥自身は末永く経営にかかわりました。これも何かの縁か、土佐は昔から和紙の生産が盛んでした。

 では、次回。(敬称略)
 

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