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大磯歴史語り〈財閥編〉 第18回「岩崎久弥」文・武井久江

公開:2021年5月28日

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設立当初の東洋文庫
設立当初の東洋文庫

 今回終焉を迎えるについて、三菱において久弥の事業への取り組みに感銘を受けることがとても多く、素敵な方でした。久弥自身は、大上段に構えた訓辞は一切残しませんでしたが、ただ、第1次大戦勃発で世間が投機ブームに沸いていた時、浮足立つ社員に与えた訓辞が残っていました。それは、そのまま久弥の生き様であり、経営哲学でした。「健全な国家を支えるのは国力であり、国力の充実は実業に依る。それゆえ実業に従事する者の責任は重い。実業の根底にあるべきものは各人の高潔な人格と公正な行動だということを忘れてはならない」。末広農場の自然の中で三菱の再興を見守った晩年の久弥でしたが、昭和30年12月2日、奇しくも10年前に亡くなった4代目小弥太の命日に、久弥は静かに90年の生涯を終えました。

 彼が行った事業で、三菱の「所期奉公」という言葉を何回かお話ししたと思いますが、国から請われて幾つもの大変な事業を行いました。前回でお話しした岩手県の不毛の火山灰地を開拓しての「小岩井農場」、「総の十三牧」のあまりにも瘦せた土地の整備、東京駅周辺の赤煉瓦群。何度、国からの要請に巨額な資金を投入した事でしょう。5月15日の朝日新聞にモリソン文庫の事が掲載されていました。これは久弥が遺した「東洋文庫」に繋がりますので、詳しく語りたいと思います。きっかけは、大正6年のある日です。久弥のもとに、横浜正金銀行頭取の井上準之助(大磯に別荘を構えた方です)がやってきて、「モリソン文庫」を買い取ってほしいと相談しました。G・E・モリソン博士(1862〜1920)はオーストラリア生まれ、かつてロンドン・タイムズの北京特派員として日露戦争を欧州に報道し続けて有名になった人ですが、長く中華民国総統府顧問を務め、引退して中国を去るにあたり、収集した文献2万4千冊・地図版画1000枚の散逸を避けるため漢籍も洋書も解る学者か機関に一括して譲る事を希望しました。ハーバードやエール大学が興味を示しましたが金額が合わず、久弥が言い値で買い取りました(現在の価値で70億円)。かくして貴重なモリソン文庫は日本の物となりましたが、久弥自身が永年収集した和漢書・古刊本などの蔵書(3万8千冊)も膨大な量があったので、大正13年(1924)に財団法人東洋文庫を設立しそれらを併せて提供しました。今日では、世界の五指に入る東洋学研究センターになりました。常に社会への貢献に気を配った一生でした。素晴らしいの一言です。(敬称略)
 

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