大磯歴史語り〈財閥編〉 第32回「三井守之助・養之助」文・武井久江
三井家最終回です。大磯駅から向かって左側にある大磯迎賓舘の右横の道(さざんか通り)を下っていき、右角の現在はマンションがあるところに三井守之助邸がありました。調べれば調べるほど素晴らしい建物でした。建築主・三井守之助は本名・三井高泰。伊皿子三井家七代高生の三男として生まれ、永坂町家七代高潔の養子となりました。明治14年に家督を相続して八代目当主となり、大正10年から昭和9年まで三井物産取締役を務めました。茶人としても知られ、本邸内には茶室三室を所有していました。妻・楢光は住友家十二代当主友親の次女です。大磯の建物は別荘として建てられましたが、夏期のみならず、通年で使用されていました。一族が別荘を利用する時は、使用人もともに本邸から移動してきたそうです。
何故素晴らしい建物かといいますと、設計者・木子幸三郎は東京帝国大学で建築を学び、東宮御所(現・迎賓館赤坂離宮)御造営局、宮内省内匠寮技師を務めた後、木子建築事務所を開設しました。木子家は天皇家出入りの大工棟梁の家柄です。大磯の土地は明治39年に所有、関東大震災の翌年の大正13年から立ち上げ昭和2年に竣工しました。木子が、この設計に熟慮を重ねた証が東京都立中央図書館に250枚に及ぶ図面として残されているそうです。和と洋が融合したステキな建物で、内部は和風を主として、外観は洋風。シンボルともいえるベイウィンドウ、窓のステンドグラス、また日本の木工加工技術が世界一と確信するものが様々にありましたが、建物の中に隠れて見えなかったから解体されてしまったのでしょうか? 何とかこの建物を保存しようと活動していた方たちの記録が残っています。邸園文化調査団が平成16年に発行した冊子です。今回のみならず、歴史を訪ね、人を訪ね、景観を訪ね 、語っていると、大磯町は本当に沢山の建物が発展という名のもとに残念なことになってきたと感じます。しかし今は過去の色々な事を踏まえ、乗り越えて大磯町も変わってきました。「元勲通り」と言われていたところも、現在は明治記念大磯邸園として令和6年の全面開園を目指し、陸奥宗光邸・大隈重信邸・伊藤博文邸・西園寺公望邸(現在の建物は池田成彬邸)の利活用に向けた保存・修復が進められています。歴史は、点を結び線にしていかないといけません。楽しみに見守りたいです。もうお一人、三井家の方がいます。三井養之助です。明治9年三井銀行と同時に開業した三井物産会社の初代社主。渋沢栄一らと東京株式取引所を設立、明治33年に大磯に別荘を持ちました。次回から、安田善次郎を語ります。(敬称略)
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