明治時代の教育家・新島襄の命日にあたる1月23日、大磯町にある新島襄終焉之地碑で3年ぶりに碑前祭が催された。学校法人同志社の主催で毎年、卒業生や大磯町民らが参加して行われていたが、新型コロナウイルスの影響で2年にわたり中止が続いていた。
同志社大学設立のために奔走していた新島は病に倒れ、1889年12月から大磯にあった百足屋(むかでや)旅館の別館・愛松園で療養を始めたが回復せず、翌月23日に妻・八重らに見守られながら46歳で他界した。終焉之地碑は、1940年に新島の門下生らにより旧百足屋の敷地内に建てられたもので、碑文を愛弟子の徳富蘇峰が揮毫している。
規模縮小で実施
3年ぶりの碑前祭は、まだコロナが完全に収束していないことから参列者を同法人や校友会の代表者らに限定し、規模縮小で実施した。新島が亡くなった午後2時20分に参列者全員で黙とうを捧げ、碑前に代表者らが献花。讃美歌や大学の校歌は声を出さずに黙想を行った。同法人の八田英二総長は「今を託された我々一人一人が新島先生の熱い志を受け継ぎ、発展させて、同志社教育を完成に導いていく」と挨拶、町を代表して参列した池田東一郎町長は「新島先生の信念と行動力に学び、自分も教育や子育てに力を入れた町政運営をしていきたい」と述べた。
式典後、八田総長は「3年ぶりに碑前祭を開催することができて感慨深い。同志社と大磯町の関係もさらに深めていければ」と笑顔で語った。
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