戻る

秦野 人物風土記

公開日:2015.10.24

横野山王原遺跡見学会で解説員を務めた
天野 賢一さん
南矢名在住 51歳

大地にときめいて



 ◯…新東名建設に伴う遺跡調査を行う(公財)かながわ考古学財団に属し、10月17日に横野山王原遺跡見学会で解説員を務めた。土から出てくるのは遥か遠い先祖の日常生活の痕跡。出土物は「国・県の財産である前に、その土地に生きる人の財産になることが優先。足元に眠る郷土の宝は地元の人に見てもらってなんぼ」と、見学会でも出土物を見て、触れてもらった。



 ◯…東京生まれ、埼玉育ち。幼少から化石等に興味を持ち、父に頼んでは採集に。高校3年の発掘アルバイトで、縄文土器が出た。この時「縄文人」の存在を実感してからどっぷりとのめり込む。大学卒業後、埼玉の遺跡調査会に身を置くも「まだ見ぬ世界を掘りたかった」と神奈川へ。任された最初の案件が東名高速道路拡幅に伴う厚木-大井松田間の発掘調査。地理的に中間の秦野に居を求めて訪れた際にみた丹沢表尾根の美しさに心打たれた。



 ◯…どこへ行くにも移動はバイク。雨風構わずまたがること30余年。「相模川を越えると東西で風が変わる。感覚を感じられるのと開放感、爽快感がたまらない」と口元が緩む。妻、娘3人に犬1匹の大黒柱は、娘の親仲間と大根中学校ファーザーズクラブバンドで6弦のエレキを掻き鳴らす。吹奏楽部の演奏会の幕間などで演奏するが、練習は自宅。だからこそ文化会館の大ホールで「アンプを全開にして、ディストーション目一杯かけて、バーン!とやるのは最っ高に気持ちいい」と破顔一笑。



 ◯…少年時代のときめきは今も色褪せない。「出土した土器は本当に色鮮やか。密閉された大地から出て、空気に触れた瞬間から急速に劣化が始まる。出た瞬間に立ち会えるのは非常に感動的」と紛れも無い第一発見者は悦に浸る。近年は近代考古学にも携わり、文明開化の震源地・横浜外国人居留地で発掘を行った。そこに生きた人の痕跡は埋蔵文化財。開発で失われる前に記録し、保存に努める。

 

    ピックアップ

    すべて見る

    意見広告・議会報告

    すべて見る

    秦野 人物風土記の新着記事

    秦野 人物風土記の記事を検索

    コラム

    コラム一覧

    求人特集

    • LINE
    • X
    • Facebook
    • youtube
    • RSS