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秦野 人物風土記

公開日:2016.11.12

プロ野球のドラフト会議で中日ドラゴンズから6位指名された
丸山 泰資(たいすけ)さん
東海大学文学部4年 21歳

ウイニングボール贈りたい

 ○…打者27人に一度もベースを踏ませなかった。3年春の日体大戦。三振8個に凡打の山、無安打・無四死球の完全試合を達成した。プロを本気で考え始めたのはその直後。「華やかなマウンドで投げてみたい」と両親に告げた。151キロの直球に変化球を織り交ぜる。「力で押すのではなく、頭を使って裏をかく投球」を目指してきた。完全試合で湧き上がった自信は、ドラフト指名によって「確信」へ一歩近づいた。

 ○…群馬県館林に生まれた。パイロットの父は転勤が多く、小学校は相模原、長野県松本、愛知県常滑と3校を渡り歩いた。1年生で始めた野球から離れることはなく、各チームで内野手としてプレー。中学生になると愛知知多ボーイズで投手に転向した。一時、投球に支障をきたす運動障害「イップス」に悩まされたこともあったが、休みなく続けた反復練習でこれを克服。卒業後は愛知の強豪、東邦高校に進学した。

 ○…高校入学時はサイドスロー。球質に欠け2年秋までは4番手投手だった。「オーバースローに戻して誰よりも練習しないと先はない、と感じました」。不可能とも思えた”矯正”に耐え、最後の夏は「1」を背負った。2012年の県大会決勝、甲子園をかけた愛工大名電戦で相手エースと11回を投げ合うも、自身のワイルドピッチにより惜敗。あの時の悔しさは胸に残り「試合の映像は今でも観られません」と明かす。

 ○…「甲子園には出たことがない。センスがあるわけでもない」。そう言って大学で誰よりも腕を振り続けた。努力も才能ならば、まさしく才能の塊だろう。趣味を尋ねると「そうですね、キャッチボールだと思います」。実直な人柄に野球愛がにじむ。来年3月には市内土屋の野球部寮を巣立ち、中日ドラゴンズの春季キャンプに参加する。目標は「入団一年目で初勝利」。ドラフト指名を誰より喜んでくれた両親に、ウイニングボールを贈る。

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