4月16日に開館した山内龍雄芸術館を運営する「ギャラリー・タイム」の代表を務める 須藤 一實(かずみ)さん 羽鳥在住 67歳
「山内」に取り込まれた人生
○…歳月をかけて削り込んだキャンバスに油絵具で色を乗せる。画家・山内龍雄氏が唯一無二の技法で描き出すのは「無の境地」だ。2013年に山内氏が亡くなるまでの30年間、山内作品だけを扱う画商として、二人三脚で歩んできた。開館した芸術館は、山内芸術を広く伝えるための拠点。「彼は死ぬまでにやろうとしたことをやったと思う。今度は俺の仕事だ」
○…高校卒業後に勤務した貿易会社が倒産。銀座の画廊の画商に転職した。美術を学んだ経験もなく「絵で商売するなんて思っていなかった」と言うが、転職後は「水を得た魚」。ピカソやセザンヌなどの数々の名画を扱い、魅せられた。そんな中、画廊に現れたのが山内氏だった。取り出した小さな絵はキャンバスの側面がボロボロ。「ずいぶん年季が入った絵だと驚いた」と話す。生活に困り金が必要という山内氏からその絵を買ったことが後の人生を変えた。
○…「この人のための画商になる」。北海道を拠点にする山内氏との手紙のやりとりを通じて人となりを知り、そう決意し独立した。「はぐれもの同志、息があった」と笑顔。「山さんを世界の舞台に持っていくつもりで頑張る」と伝えると、「すーさんを世界的な画商にする」と返ってきた。2007年以降には海外での展示も実現。各国で「見たことのない絵画」と絶賛された。
○…1992年5月の夜、自らが出産する夢を見た。うなされるほど痛みを感じる夢。子を産み、目を覚ますと電話が鳴った。「すごい絵ができちゃった」。当時、創作に行き詰っていた山内氏からだった。「産みの苦しみのエネルギーが伝わってきたんだと思う」。「老賢者と少年が浮かび上がってくる」というその絵は代表作として芸術館にも並ぶ。「あの絵は彼の精神だ」。画商になったのも、芸術館を作ったのも、そこを訪れる人も全て「山内芸術を助けるため。山内に取り込まれた気がする」。これからも山内氏とともに生きる。