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青葉区 人物風土記

公開日:2022.01.27

GKとしてサッカーJ1の川崎フロンターレへの入団が決まった
早坂 勇希さん
桐蔭横浜大学4年

悔しさ糧に夢の舞台へ



 ○...川崎フロンターレのユースからトップチームに昇格できなかった悔しさを糧に、桐蔭横浜大学での4年間を経て念願の帰還。「成長した形で大好きなクラブに戻ってこられて本当に嬉しい」と笑顔で語る。背番号は22番に決まった。「ユニフォームに袖を通して改めて気持ちが引き締まった。フロンターレの一員として、しっかり活躍できるように頑張りたい」と力強く語る。



 ○...東京都大田区出身。サッカーを始めたのは小学1年生の時に友人に誘われて地元のクラブに入団したのがきっかけ。当時はゴールキーパーではなくディフェンダーなどを担当することが多かったが、転機は母親の勧めで4年生の時に受けたフロンターレジュニアのセレクション。ゴールキーパーとして合格し、そこからユースまで進んだ。トップに昇格できなかった時は「今までにないほど悔しかったが、強化部の方や家族の支えもあり、必ず成長して4年後に戻ってくるという気持ちで大学進学を決めた」と振り返る。



 ○...様々な大学から声が掛かる中で、同大サッカー部の八城修総監督や安武亨監督の人間性に惹かれた。試合に出られない時もチームのサポートに徹し、周りの信頼を得て2年目からは絶対的守護神に。「自分が為すべきことを考えて行動する。この4年間で人間性の部分で大きく成長させてもらい、本当に桐蔭に来て良かった」と語る。



 ○...プライベートでは大の甘党で、オフの期間には同大近くのパン屋や青葉台のカフェにも足繫く通ったとか。同大出身としての責任感も強く、「大学を支えてくださっている地域の方々に活躍する姿を見せたい。まずはクラブに必要とされる選手になり、将来は日本代表を目指して努力していきたい」

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