大衆舞踊家として戸塚を拠点に活動を始めた 舞扇毬菊(まいせんまりぎく)さん(本名:小村 愛美) 日本舞踊研究所 舞扇流二代目家元
芸がつないだ親子の縁
○…青森県十和田市で個人流派「舞扇(まいせん)流」の家元として日本舞踊教室を営む。弟子は100人超。東北を中心に舞台でも活躍する一方、常に意識してきた”中央”の存在。「一流はいつも中央から来る。自分は中央で通用するのか」。そんな思いを胸に一昨年、泉区で開かれた歌謡コンサートに出演機会を求めた。すると、現代的要素を取り入れた独特な”大衆舞踊”は大反響。知人のつてもあり、昨夏から戸塚にアパートを借り、地域イベントなどで精力的に活動を続けている。
○…幼少時に両親が離婚。父方に引き取られ、母に連れられて習っていた日本舞踊からも遠ざかった。成人し、ようやく探し当てた母は日本舞踊の家元になっていた。一緒に稽古に通った楽しい想い出、教室の看板を見て訪ねてきてくれるかなという期待――。娘を思う気持ちが、母を舞踊の道へと導いていたのだった。だが、久々の再会を果たすも、しばらくして母は病に倒れ、2年の闘病の末他界。「私にとって芸とは親子の絆をつないだものだった」。その後、母を慕う弟子たちから熱望され、後を継ぐことを決意した。
○…12歳から23歳の4人の子どもを育てる。それぞれに2歳から舞踊を指導しているが、「親として『よくやった』と思っても、師匠として厳しくしなければならないのは辛い」。公演活動のために家族を残して留守にすることも多く、成長を見守れないことに心残りもある。だが、母子を中心に組む一座で、子どもたちには『見る者も演じる者も楽しめる舞台』を目指すプロ意識が芽生えている。
○…各地を駆け回るなか、”よそ者”を受け入れない雰囲気の土地もあるが、「戸塚では舞台をみた人たちが、『まりちゃん』と声をかけて応援してくださる。これから伸びようとしている街という印象」。いつも単身で遠路はるばる車を走らせて来ていたが、3月には初めて一座そろって”第二の故郷”の地を踏む。
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4月18日