自宅内に設置されたアトリエで「サッ、サッ」と絵筆を滑らせていくのが、1922年(大正11年)生まれ、御年95歳の川邊房吉さんだ(小雀町在住)。今も油絵一本で終日キャンバスに向かう。「最近は風景画ばかり描いているよ。やっぱり風景は良いね」と歯切れよく語る姿はまったく年齢を感じさせない。
苦境を乗り越える
房吉さんが絵に興味を持ったのは幼少時代。田河水泡の漫画「のらくろ」が好きになり、真似をして描き始めたのがきっかけ。その後、当時の大衆雑誌「キング」に、川柳に漫画をつけるコーナーがあり、自らもイメージする絵を描くようになる。「周りから『うまい』って言われるから、調子に乗ったんだ」とちゃめっ気たっぷりに笑う。
終戦後、28歳で結婚。小雀町で農業を始める。この頃、日本の経済状況は厳しく、房吉さんも同様の状況で、原宿の国立横浜病院(現・横浜医療センター)でボイラー技士としても働き始める。”二束のわらじ”は心身ともに負担だったが、苦境を支えたのはやはり絵だった。「徹夜明けで病院から帰ってきて、そのまま田んぼに出る。昼の休憩時間に草花をスケッチブックに描くことが支えだった」。その頃、高校生になっていた長女が美術部で油絵を始めたことが契機となり、房吉さんはそれまでの日本画から宗旨替えをする。多彩な色使いにより、対象物の「表情」を出しやすい油絵に魅了されたからという。
作品は1000点に
定年を迎え、時間にも余裕が生まれると、房吉さんは60歳から70歳の10年間、ヨーロッパやインド、エジプトなど海外に足繁く出かけ、絵の素材となる風景などを写真に収めたり、ポストカードにスケッチしたりして収集。それを次々に形にしていった。そうして描き上げた作品は約1000点にものぼる。その後も房吉さんの絵に対する情熱は留まるところを知らず、額縁も手作業で制作するほか、鎌倉にある行政センターで現在も絵画指導にあたっている。
間もなく生を受けて1世紀となる房吉さん。「葬式には花輪のかわりに自分の絵を飾るつもり。毎日楽しいね。今後も描き続けるよ」。少年のような笑顔を見せた。
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