戸塚区・泉区 社会
公開日:2021.08.12
輸送船員の記憶
魚雷で沈没 重油まみれに
戸塚町在住 大矢秀二さん(91)
新潟県神納村(現・村上市)の米農家で9人兄弟の次男として育った大矢秀二さんは1944年3月、14歳で国民学校高等科を卒業。「どうしても戦地に」と少年兵を志したが体格が基準に満たず、教師の勧めで戦地へ物資を運ぶ輸送船の船乗りとして大阪商船(現・商船三井)に入社。卒業式の3日後には和歌山県の船員養成所で船が出来るのを待っていた。完成したてのタンカー「大明丸」は6700tで全長110m、幅15m。物資を積み乗組員35人で8月に東京を出航した。
見習いだった大矢さんは出航後、17歳の先輩に「どうも台湾に行くらしい」と教えてもらった。補給があり食料には困らなかったが「台風や嵐に遭って、本当に苦しかった」。船酔いで3日食べられない日もあった。
縦に傾き沈む船
船はボルネオ島のミリで8000tの重油を積み、帰還兵31人を乗せた。ベトナムへ南シナ海を航行中の11月3日未明、暑くて操舵室の下の甲板で先輩と寝ていた時「ダーン!」という爆音で目覚めた。米潜水艦の魚雷攻撃で、大きく吹き上がった重油まじりの海水を浴び、全身が真っ黒に。10m先にいた船員3人が犠牲になり、いかりを収める倉庫に便乗していた兵隊は全員沈んでしまった。船体が縦に傾きゆっくり沈んでいく中、大矢さんは欄干に必死でつかまり、25m下の海面に降ろしたボートに縄梯子を伝い乗り込んだ。
護衛艦に助けられ大阪に帰国後、翌年1月に故郷へ戻ったが、結核性肋膜炎を患い、療養の中で終戦を迎えた。帰省していた同級生と「今までは何だったんだ」「これからどうなるんだ」と不安を口にしたことを覚えている。1948年国鉄に入社し、寝台特急や在来線の車掌を37年勤めた。結婚を機に69年前から戸塚町に家を構えている。
互い認める努力を
サイゴンで帰る船を待つ間、仲良くなったベトナム人に「坊や」と可愛がられ、もらったバナナの美味しさが忘れられない。「子どもは純真。『戦地に行きたい』という気持ちも教育だった。武力は最低のこと。個人の争いが大きな戦争になる。お互いに妥協して認めあう気持ちが大事」と力強く語った。
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