戸塚区・泉区
公開日:2023.06.22
舞岡熊之堂戦争遺跡
照空隊陣地とは何か
寄稿:市ふるさと歴史財団埋蔵文化財センター長古屋紀之
平成29年のある日、「戸塚区の舞岡町で発掘が出そうだ」ということを上司から聞かされた。当時、私は異動で別の部署から2年ぶりに埋蔵文化財センターに戻ってきたばかりで、現場から離れていたため、少し緊張した覚えがある。
ただ、その時は「縄文の住居がちょろっと出るぐらいだよ」とのことで、それほど大きな発掘になる予感はしていなかった。
遺跡を調査する前に、まず試掘(しくつ)というのをやる。これから発掘する遺跡がどの程度のものなのか、数カ所に「トレンチ」と呼ぶ竪坑(たてこう)を開け、様子を見るのである。文字通り、試し掘りである。
この時の試掘は市の教育委員会で行った。平成29年3月のことである。市営墓地造成のための工事計画地内に10カ所のトレンチを入れ、そのうち2カ所で竪穴住居跡が見つかった。赤く焼けたカマドの跡もあった(奈良時代の住居だった)。これで本調査することが決まった。ただ、他のトレンチでは「撹乱」(かくらん)しか見つからなかった。「撹乱」とは近年掘られた新しい穴のことで、新しすぎて調査対象にしないもののことである。土の中に黄色い関東ローム層がブロック状に多く交じるため、すぐ分かる。「けっこう撹乱にやられているなあ」。試掘調査報告書を見た時はそう思っただけであったが、後にそれが大きな間違いであったことが判明するのである。
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