「かなざわ歴史辞典」の編集長を務め、このたび任を退く 熊谷哲(さとる)さん 金沢町在住 89歳
今なお尽きぬ知識欲
○…「金沢区を総合的に案内するものを目指した」。約4年かけて「わの会」が執筆・編集した「かなざわの歴史辞典」の編集長を務めた。このたび改訂版出版を機に任を退く。「当初はまさに”群盲象を撫ず”といった状態。金沢の全体像を掴めず、何を載せるか四苦八苦した」と振り返る。編集方針は大本の資料まで遡って調べる”原点主義”。「メンバー全員が金沢を知りたいという一心でよく勉強した。多くの人から褒めていただけたのも、皆のおかげです」と話す。
○…自身の膨大な知識の基礎が形づくられたのは神奈川県立第一中学校(現希望ヶ丘高校)時代。当時は市内全域から優秀な生徒が集まるエリート校だった。もともと物理や化学が好きな理系青年だったが、情熱あふれる恩師に恵まれ国文学や漢文、歴史に親しんだ。「おかげで古い文書を抵抗感なく読めるようになった。寺社の鐘の銘なども何とか分かるので、辞典作りにずいぶん役立ちました」と顔をほころばせる。
○…戦争が苛烈になっていた1943年、高校を卒業。海軍の技術仕官となった。戦地・フィリピンからもたらされた米国の機材を見て、思わずため息が出た。「技術レベルが格段に違う。日本が作れないものばかりだった」。とても勝てない――。敗戦の予感が頭をよぎった。「実際、同級生はかなり死にました。特攻隊もいた。でも死を怖いと思ったことはない。当時は戦争賛美でもなんでもなく、命をかけて国を守らなくちゃとあたりまえのように思っていた」
○…90歳を目前にした今でも、知識欲は衰えることはない。現在、興味をもって調べているのは日本の精神文化史。「江戸の生活習慣をベースに、仏教の影響が極めて大きいんです」と説明する瞳は好奇心に満ちている。「たまに過信しがちなので、常に相手の気持ちを汲んで、和やかに楽しく過ごしていきたいですね」と穏やかに語った。
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