「金沢公会堂さよならコンサート」でバリトンソリストとして舞台に立つ 杉山 範雄さん 栄区在住 40歳
「歌いたい心」絶やさずに
○…「歌には言葉がある」。そこに声楽家としての魅力を見出す。「言葉で上手く表現できないことも歌にのせれば伝えられる」。バリトン歌手としてステージに立つ傍ら、合唱団で指揮を執る。歌手として、指導者として、大切なのは「思いを伝える」作業だ。
○…小田原市出身。幼少期から音楽教室に通った。10歳で母に連れられて聴いた、合唱の衝撃を覚えている。「将来あんな声がでるのかな」。そのまま名門・小田原少年少女合唱隊に加入。中学時代は吹奏楽部に所属し、合唱隊、部活動、バンド活動と「1週間ずっと音楽漬け」と笑う。金管楽器や打楽器などあらゆる楽器に触れ、感性を磨いた。合唱隊では海外公演や名だたる音楽家から刺激をもらう日々。「何もかも新しい世界。今の基盤になった」
○…両親との約束で工業系の高校に進学。音楽に区切りをつけるはずだった。だが合唱隊の指導者の誘いで声楽の道へ。「知らぬ間に音大受験のレールに乗っていた」と冗談めかす。東京藝術大学声楽科へ進学するが、厳しい現実もあった。「上には上がいる。楽しいはずだった音楽に心が折れかかることも」。自分の色は何か――辿りついた答えが幅の広さ。オペラや合唱、宗教曲のソリスト、様々な人脈をつなぎ経験を積んだ。
○…初めて合唱団を任されたのは24歳の時。「魅力を引き出す側にはまった」。今では金沢混声合唱団を含め、8団体で常任指揮者を務める。心がけるのは笑いが絶えず、意見交換ができる雰囲気づくり。「それがなければ良い音楽はできない」。合唱隊時代に学んだ「歌いたい心を大切に」の言葉が根底にある。「一般の人をここまで歌わせるのはすごい」。30歳でもらった評価が、それが間違いではないと証明した。「作業を積み上げ、思い描く音楽ができあがるのが感動の瞬間」とほほ笑む。夢は自身が携わる全ての団体を集め、大演奏会を開くこと。今後も歌声を重ねていく。
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