平成元年夏から30年夏まで、春夏合わせて26回甲子園の土を踏んだ横浜高校。30年の間には強豪校の衰退や新勢力の台頭もあったが、一貫してその名を大会史に刻み続けてきた。
10年には、エース・松坂大輔投手(現・中日ドラゴンズ)を擁し、大会史上5校目となる春夏連覇を達成。準々決勝でPL学園を相手に延長17回を投げ切り、京都成章との決勝でノーヒットノーランを演じた松坂投手は”平成の怪物”と呼ばれ、人々を驚かせた。
「感動的な試合で全国に横浜高のファンが増えた。その年を境に雰囲気が変わった」と話すのは葛蔵造校長。当時は学校幹部として生徒や一般応援者を甲子園に連れていく役割を担っていたという。応援もまばらだった春に対し、夏は試合が進むにつれ期待が膨らみ、決勝前夜にはバス55台が1000人以上を乗せて同校のある能見台を出発。その様は「小さな学校を町ぐるみで応援しているようだった」という。
連覇を果たし、帰校した際には、ベランダに並んだ選手たちをグラウンドに集まった大勢の人が祝福。「後にも先にもこのときだけ」という大フィーバーぶりだった。
時代の中で指導も変化
その活躍に憧れて翌年同校に入学したのが、現在野球部の監督を務める平田徹さんだ。自身も2度、甲子園の土を踏んでいる。18年からは指導者として関わり、27年には半世紀に渡って監督を務めた渡辺元智さんからバトンを受け継いだ。渡辺さんの退任は「明治維新くらい大きなことだった」と言うが、以後も夏の甲子園は連続出場している。「変革はうまくいったと思うが、甲子園で勝つにはまだ過渡期」と話す。
トップダウンが当たり前の厳しい環境の中、監督の下で一丸となって勝利を目指すいわゆる”体育会系”の時代から、身体を大きく鍛え、個々の才能や個性に合わせた指導を行い、勝利を掴む時代へ──。「アメリカから起こるメジャー流のムーブメントがここ3年くらいで高校野球にも浸透してきたことを感じる」と平田監督は言う。
また近年は、多くの情報が簡単に手に入るようになり、その取捨選択も難しい。溢れる情報を前に混乱する選手に対し、「指導者が方向を示すことも大切」という。「高校野球は学校教育の中のものなので、在籍する生徒の恩恵をいかに大きくできるか。『横浜高校に来てよかった』と思える指導をしていきたい」
男女共学化を来年に控え、チアリーディングの創設を検討するなど、応援などにも変化が出る。その影響は未知だが、思いは一つ。「時代が変わっても強くありたい」
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