2013年は「巳年」。昨年末の総選挙を受け、今年は日本全体が大きく変わると思われるが、磯子区でも巳年は大きな変化が数多く起こっていた。それらを紐解きつつ、新しい年を展望する。
海が遠い存在に
磯子区といえば、その名前にもあるとおり、海と深い関係にある。昔の磯子を知る人たちは口々に、海の思い出を語るが、現在は海に触れることのできる場所は区内でもほんのわずか。巳年は、そのような地形の変化が多い年のようだ。
今から84年前の1929年(昭和4年)、4月には森と磯子町地先(現在の新森町、新磯子町周辺)の埋め立て工事が完成。さらに戦争の足音が聞こえ始めた72年前の1941年(昭和16年)には、旧日本軍が中根岸町を埋め立て、飛行場を設置している。
その後も区内各地で埋め立てが進み、海水浴が困難となっていくのを受け、市はやはり巳年にあたる1965年(昭和40年)、原町に横浜プールセンターを開設。夏には、現在も多くの区民が利用するマンモスプールができ上がった。
市内初の住居表示
マンモスプール開設と同じ65年の1月には、市内初となる住居表示が施行される。それまであった丸山町、滝頭町が廃止され、丸山1から2丁目、滝頭1から3丁目、磯子1から3丁目などが新設された。
続く7月には、中根岸町、西根岸上町、西根岸下町、西根岸坂下町、西根岸馬場町も廃止。それぞれ、東町、西町、下町、坂下町、馬場町、上町へと変更される。
その一方、このころから市と日本住宅公団(現・都市再生機構、UR)による洋光台の土地区画整理事業がスタート。矢部野と呼ばれていた山々が広がる広大な地域での大規模開発が始まり、後におよそ2万6千人が暮らす一大都市が完成する。
磯子まつり開始
そのほかにも、巳年の磯子区では様々な出来事が起こっている。
1953年(昭和28年)には、杉田の東漸寺にある梵鐘が国重要文化財に指定される。また、東伏見宮別邸が横浜プリンスホテルとして開業したのもこの年。ホテルの跡地では現在、大規模マンションの建設が進んでおり、一部は今年から入居が開始される予定。
36年前の1977年(昭和52年)は、県立磯子高校が開校。10月には区制50周年の記念式典が挙行され、現在まで続く「磯子まつり」がスタートした。
84年前、3万2361人だった磯子区の人口は、現在16万1953人(2012年12月1日現在)。今年はどのような「変化」の1年になるのだろう。
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