今年は終戦から70年――。終戦間もなく闇市として始まった浜マーケットには、区内はもとより区外からも多くの人が訪れ、地域の台所として人々の生活を支え続けている。当時から浜マーケットで商売し、今も営業を続けている「まつのや菓子店」の三木正江さん(86)へのインタビューを通じ、70年を紐解く。
1945年は4月と5月に堀割川周辺に空襲があり、多くの家屋が焼失。そして8月15日、終戦を迎えた。浜マーケットの原型となる闇市が立ち上がったのはその年の暮れ。元々、戦車が通行できるようにと整地され、そのまま空き地となっていた「疎開道路」。その一部に、10軒ほどの露店がゴザなどを敷いて野菜などの販売を始めたのがきっかけだった。
三木さんが浜マーケットで駄菓子屋を営む夫のもとへと嫁いだのはそれから数年後。当時は、バラック建ての店が並び、地面も未舗装。マーケットの長さも現在の半分ほどだったという。「市電が走っていて、近隣の磯子や岡村はもちろん、本牧や森、遠くは杉田からも市電に乗って、ここに買い物に来ていたよ」と、笑顔を見せる。商品もなかなか手に入らない時代。店を切り盛りする夫は、東京・上野の御徒町まで足を運んでは、ハーシーチョコレートなど、外国から輸入されてきた菓子を仕入れてきた。
54年には現在のようなアーケードが設置されるなど、マーケットは発展を続け、65年頃には店舗が50軒以上、菓子屋だけでも10数店舗が軒を連ねた。「店の前の道が、人でぎゅうぎゅうになるほどでね。スリもよく出るくらいだった」。64年に開催された東京オリンピックでは、聖火リレーがマーケットの前の国道16号を通過。「ものすごい人が集まった」と目を細める。
しかし、70年に根岸線が洋光台まで開通、72年には市電が全廃に。根岸や磯子駅の周辺にスーパーができるなど人の流れも大きく変化し、浜マーケットも最盛期の勢いが失われ始める。さらに2007年4月には、連続放火とみられる火災が発生。三木さんの店舗を含む複数の店舗が焼失した。
元々はマーケットの入口そばにあった店舗だが、現在は真ん中あたりの空き店舗に場所を移し、営業を続ける。「今は、スーパーやコンビニなどがたくさんあるからね」と、淋しそうな表情を見せる三木さん。しかし今でも、近所の子たちがこづかいを握りしめて買い物に来るほか、昔常連だった当時の子どもたちが、自分の子どもを連れて遊びに来るそうだ。
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