本牧 気まぐれ歴史散歩 43 『小林一三と原富太郎』
小林一三は阪急電鉄の創業者です。阪急電鉄は、明治43(1910)年に開業し、鉄道延伸計画と合わせて、延伸予定地域の土地を次々に取得し、現在の関西圏の都市基盤を築いていきました。小林は、田園調布の開発を手掛けていた渋沢栄一から依頼され、東京での鉄道事業も指導し、のちに東急電鉄の実質的な創業者となる五島慶太を育てました。
一方、横浜では明治37(1904)年に横浜電気鉄道(のちの横浜市電)が開業し、青木橋と大江橋を結びました。原富太郎は、横浜電気鉄道の本牧延伸に尽力しました。また延伸予定の本牧の土地を次々に取得し、明治44(1911)年、本牧線開通に合わせ、本牧の都市開発を行いました。開港場・横浜の隣村であった本牧に横浜電気鉄道が延伸し、横浜中心部と鉄道で直結されたことで、本牧は急速に都市化が進み、人口も急増しました。
都市部と郊外を鉄道で結び、沿線を都市開発していくというビジネスモデルは、現在でも健在です。三溪園を築いた富太郎については、生糸貿易や三溪園で語られることが多いですが、当時の日本を代表する経営者2人が、時を同じくして同じビジネスモデルを考え、展開していたことも知っていただければと思います。
富太郎のその先見の明に感服しながら、三溪園の南門をくぐって、園内の建物をしばし巡っていきたいと思います。(文・横浜市八聖殿館長 相澤竜次)
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