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公開日:2026.06.12
横浜「注目の人」インタビュー ラジオ日本「Happy Voice ! from YOKOHAMA」のパーソナリティー 小野寺結衣さん 「孤独を救ってくれたラジオで、今度は私が誰かの居場所になりたい」
ラジオ日本=本社・中区長者町=で毎週金曜日正午から午後3時まで放送されている「Happy Voice ! from YOKOHAMA」のパーソナリティーを2026年4月からフリーアナウンサーの小野寺結衣さんが務めている。横浜で育ち、現在も横浜市内に住む小野寺さん。テレビても活躍する中、ラジオ番組のパーソナリティーは夢の一つだった。そこには、孤独を感じていた自身をラジオが救ってくれた過去があったという。ラジオへの思いや横浜について聞いた。
◇ ◇ ◇
夢だったラジオパーソナリティー
――「Happy Voice! from YOKOHAMA」を担当することが決まって、どのようなことを思いましたか。
「ラジオパーソナリティーになることが夢だったので、『ついに叶うのか』と思いました。私は『こうしたい』と思ったら、諦めない性格なので、本当にうれしかったですね」
――実際に4月から番組を担当していかがですか。
「まず生放送の3時間は、最初は長そうだと思っていましたが、体感だと1時間ぐらいに感じます。番組が始まる直前まで頭の中がごちゃごちゃしているんですけど、始まったら本当にあっという間に駆け抜けていく感じです。ただ、想像よりも難しいというのも感じますね」
――どういう時に難しさを感じますか。
「今まで聴いていた番組が結構緩かったので(笑)、その感じでゆったりメールを紹介しようとしたら、スタッフさんから『もう次行って』と言われて。時間配分を気にしなくていいものだと思っていましたが、自分の言葉次第でコーナーや曲の区切りの “押し”(時間の超過)や“巻き”(時間の前倒し)が発生してしまうシビアさを知りました。これまで生放送のニュースを担当することが多かったので、時間が押してしまうのが怖くて、なるべく必ず伝えなければいけない情報を先に片付けて、後のフリートークで時間調整をする癖があって。たまに『あれ? 30秒も余っている』ということもあり、想像以上に難しいけれど、それと同じぐらい、やっぱり楽しいです」
――生放送なので、リスナーさんからのメールやSNSで反応がすぐに伝わってきます。
「ラジオパーソナリティーになりたいと思ったきっかけの一つに、『お便り交換』をしたいというのがありました。昔から文通が大好きで、今でもプレゼントの際には直筆でお手紙を添えているほどの手書き派です。だから、リスナーさんの生の声を直接聴けるのがすごくうれしくて。以前からのファンの方からお褒めのメールをいただくと、もうほろっと涙が…。文面から伝わるその人の人柄を想像しながら交流できるのが楽しいです」
――この番組へ向けて、どういった準備をしていますか。
「前の週から次回のゲストのアーティストは決まっているので、ミュージックビデオを見たり、SNSでファンの方の投稿を見て、どんな質問をしようか、ここは深掘りしてみよう、などと考えています。ファンの方の代わりに私が聞けたらいいなという気持ちです。また、日々の生活で『これは話そう』『いいネタになるかもしれない』といったものを書き留めるノートがあります。毎回、それを3〜4時間は読み込んで放送に臨んでいます。『反省ノート』も含め、家にはいろいろな種類のノートがありますね」
――そうして準備したものは、放送の中でどの程度発揮できていますか。
「まだ6割ぐらいですかね。放送が終わった瞬間に『なぜあれを言わなかったんだろう』と思うことがいっぱいあって。でも、毎回学びがあり、勉強、反省、うれしさ…いろいろあります」
――テレビとラジオでは異なる点も多いと思いますが。
「そうですね。ラジオは耳からの情報だけなので。リスナーさんは運転しながら、あるいは家を出る準備をしながら聴いていることもありますから、言葉だけでどうやって立体的に届けるかというのを心がけています。色、雰囲気、匂い…この場にいる私にしか分からないことを、どうすれば聴いている方が想像力を膨らませて立体的に感じられるか。その点はもっとうまくやっていきたいです」
――声だけで伝えるのは難しいですね。
「以前、スタッフの方に『声にその人の人柄が出るから、小野寺さんが暗い気持ちだったら、それが伝わっちゃうよ』と言われました。この番組は、私自身が心身ともに健康で楽しくやっていないと、聴いている方がリラックスして癒やしの金曜日を送れないと思います。会社員時代、毎日、工場に電話をしていて、会ったこともない方との電話だけの事務的なやり取りなのに『小野寺さん、今日は元気ないですね。何かありましたか』と言われて泣いてしまったり。声って人に伝わると思うので、そこは意識するようにしています」
――番組を聴いた周囲の方からはどんな反応がありますか。
「『まだ猫かぶってるね』と言われます(笑)。周りの人は私と実際に話すまでは『すごくしっかりしていて、若干近寄り難くて、ちょっとスンっとしている人なのかと思ってた』などと言うのですが、三姉妹の末っ子で甘えん坊ですし、皆さんのイメージと真逆で。しかもテレビでは真面目な顔でニュースを読んでいるので、本当の自分が伝わらないなと思っていました。普段の口調で話せて、柔らかく伝えられるラジオがいいなと思い、ラジオをやってみたいと思ったんです。もうちょっと慣れてきたら『いつもの結衣だね』って言ってもらえるようになりたいですね」
――番組では、手作りのコインケースをリスナーさんにプレゼントする企画もありました。
「使ってほしいというのもありますが、プレゼントって『欲しいものをもらったから』だけじゃなくて、『その人が自分のことを考えて選んでくれたこと』に喜びを覚えるものだと思っています。手芸は感謝を伝える熱量として、『こんなにあなたのことが大事です、感謝しています』というのを伝えるのに最適だなと思っていて。作るのは大変ですが、もらった人の顔を見て喜んでくれるのがうれしいです」
孤独を救ってくれたラジオ
――今まで、ラジオとの関わりはどのようなものでしたか。
「コロナ禍の時、テレビを見るのも疲れてしまいました。眠れなかったり、嫌なことが続いていた時に、大好きなバンド『マカロニえんぴつ』さんがやっているラジオ番組を聴くようになりました。番組では、今まで知らなかったメンバーの側面を知ることができて、もうそれは『緩さの極み』みたいだったのですが(笑)、『こんなことを思っていたんだ』という話に癒やされました。一人ぼっちの夜に、その時間だけメンバー4人の会話に入れてもらっているような、今までにない感覚でした。『ラジオってこんなに自由でいいんだ』と思い、声を聴いたら、話している人の表情が頭に浮かんできました。だからこそ、目を閉じていても孤独を感じずにその場にいられるような気持ちになって、仲間意識が勝手に芽生えるというか、自分の居場所がそこにある気がして、日々の活力になっていました。それまでラジオって『さぁ聴くぞ』と身構えて聴かなきゃいけないと思っていましたが、その番組は、ウトウトしている時に子守唄みたいに聴いたり、ウォーキングの時に聴いたら元気が出る感じでした。ラジオを通して、自分もそういう存在になりたいと思ったのがきっかけです」
――ラジオが孤独を救ってくれたのですね。
「正直、誰もが孤独を感じているのではと思っていて。ファンの方からも『何を趣味に生きたらいいか分からない』というようなメッセージをいただくこともあり、『あの時の私の気持ちに似ている』と感じることがあります。番組を聴いていただき、リラックスして、その時間だけは現実から離れてもらえたらなという気持ちが芽生えました」
――今後、番組の中でやってみたいことはありますか。
「リスナーさんとの生電話はやってみたいです。あとはラジオドラマも。友達と楽屋などで寸劇みたいなことをよくやっていたんですよ。本当はそういうのが大好きなんです。手作業やお料理も好きなので、『おゆいのホームパーティー』と銘打って、楽しい会をやったり、公開収録を兼ねたイベントなど、私が得意とするものを皆さんと共有できる楽しい時間があったらいいなって思いますね」
こどもの国でソフトクリーム
――横浜の街全体に対してはどういう印象を持っていますか。
「シカゴで生まれて、4歳から横浜に住んでいます。子どもの頃から、異国情緒あふれる港町で『おしゃれだな』と思っていました。みなとみらいや山下公園、中華街はよく行きますね。家族で行くこともありますし、中華街では手相占いによく行っていました。異空間というか、渋谷や新宿とは違う良さがありますね」
――横浜で思い出の場所はありますか。
「子どもの頃は、『こどもの国』へソフトクリームを食べるために行っていました。最近だと、ハンマーヘッドは海のそばでキラキラしていて好きです。赤レンガ倉庫のような、歴史を感じられる場所もいいですね」
小学生からアナウンサー目指す
――アナウンサーになりたいと思ったのは、日本テレビのアナウンサーだった姉・麻衣さんの存在を意識したからですか。
「小学生の時、姉がとても楽しそうに仕事をしていたのを見ていましたし、英語を活かすなど、姉のカラーが仕事に反映されていたのも大きいです。テレビでは『愛されキャラ』になっていて、ちょっとした欠点もいいところに変えてくれていて、素敵だなって思っていました。小学生の時に埋めたタイムカプセルには、将来の夢を『アナウンサーになる』と書いていました」
――大学生の時からテレビで活動していましたが、就職試験ではテレビ局に合格できず、商社で働くことになりました。当時はどのような気持ちでしたか。
「アナウンサーになりたかったのですが、キー局の最終選考で落ちてしまいました。最終で落ちたということは、本当に素質がなかったのだなと諦めがつきました。父が商社で働いていたので、私も商社に入りたいと切り替えて。いつか外国にも住みたいし、海外で英語も使いたいなと思って商社へ入りました。ただ、10年以上思い続けてきたアナウンサーへの思いは簡単に消えなくて。他の目標は達成できたのに、タイムカプセルに大きく書いた『アナウンサーになる』ことだけが叶っていなくて、ずっと悲しかったです。そんな時、大学の同窓会へ行ったら、みんないい企業に勤めていても、辞めてベンチャー企業でゼロから挑戦していたりする話を聞きました。さらに大学時代のスペイン語の先生から『体力があるんだから大丈夫だよ』と言ってもらい、迷いなく商社を2年半で辞めました」
――そこから再びアナウンサーを目指すことになります。
「親は不安でいっぱいだったと思うのですが、私は全く迷いがなくて、謎の自信がありました(笑)。直感を信じたというか、くすぶっているよりも挑戦した方が人生プラスになるなって。そうしているうちに、オーディションを通ってTBSの朝の番組への出演が決まったのがスタートです」
――生放送でさまざまな情報を伝える緊張感は、どういう感覚でしたか。
「台本を読むだけではなくて、正確な情報を伝えつつ、心に届くような声を届けることがすごく大事だと思っています。自分の発言によって、場合によっては命に関わるようなことがあるかもしれないという意識は常に持っています」
手作り料理で幸福度アップ
――日々忙しい中で、リラックスする方法やストレス解消法はありますか。
「普段いろんな方と接する時間も多いので、なるべく1人時間も大切にしていて、『さぁ〜今から1人で何しよう』とワクワクしたりしています(笑)。広い部屋でひとりカラオケをするのが贅沢でスッキリします。あとは料理をしている時ですね。ぬか漬けや味噌も自分で作るんですけど、日々状態が変わって愛おしくなってきて。自分で作ったお味噌汁はおいしく感じるし、幸福度が高くなります。出張で地方へ行く時に、地元の方と話して、個人の方がやっているお店に顔を出して交流するのも楽しくて。その人の温かみがどんどん好きになってくるから、それを求めているのかなと思います」
――今後、新しくやってみたいことはありますか。
「教えるのが好きなんですよ。最近、自分の母性が芽生えてきて、人に料理や手芸を教えるのが楽しくて。英語ももう1回勉強し直して、子どもに教えたいという思いもあります。事務所の後輩が頼ってくれたりすると、かわいいなという感覚が出てきて、私が作った料理を食べてほしいという気持ちが芽生えています。人とのつながりがうれしくて、それが活力になっていますね」
――最後に読者の方へメッセージをお願いします。
「まだ皆さんに知ってもらえていない面がいっぱいあると思うので、それを覗きに来てほしいです。番組へのメールは必ず目を通しますし、日々のあれこれを含めて、メールを通して交流していきたいと思っています」
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