神奈川区 教育
公開日:2023.01.01
子安小学校が1世紀半の歴史歩む
1万5千人超の卒業生 輩出
横浜市立子安小学校=新子安=が今年度で創立150周年を迎える。現在1年生から6年生まで、40クラス・1132人の児童が通っている同校は、明治6(1873)年に設立。1世紀半の歴史の中で1万5千人を超える児童が巣立ち、子安小学校で学んだ誇りを胸にそれぞれの分野で活躍している。
小規模校が原点
明治政府は1872年に「学制」を発令し、その翌年に誕生したのが「子安学舎」だ。最初の校舎はかやぶき屋根の木造平屋建で、教室は3教室。児童140人、教職員4人という規模だった。
1894年の1月15日には今の地理上でいう一之宮神社=入江=の下に新築移転し、「橘樹郡子安村立尋常子安小学校」という名称に。このことから、同日が開校記念日に制定されている。立地としては入江川のほとりで、畑や林、川に囲まれた自然豊かな環境だったという。また当時の運動会は、着物とはかまで参加する児童の様子が写真で残されている。
時代は大正へと移ると、大正2(1913)年に「子安」という文字をかたどった初めての校章が完成した。その10年後には子安村が横浜市に編入されたことに伴い「神奈川県横浜市子安尋常小学校」に改称し、同年に関東大震災が発生。その3年後、完成した新校舎(3代目)は市内初の鉄筋コンクリート製の校舎で3階建てに。その頃に作られたアーチ状のステンドグラスは、代々大切に保存され現校舎でも彩りを加えている。
開発とともに児童数急増
3代目の校舎の完成と時を同じくして、学校周辺の開発も進み、児童数が急増。約3200人の全校児童が在籍し、70人以上を擁するクラスが多く存在した。この規模は、白幡小学校が創立した1936年まで続いた。
そして第二次世界大戦に突入し、校庭のまわりに植えられていた樹木は戦争の資材に使用。空き地も食べ物を作るための畑へと変わり、終戦間近は児童が港北区の寺院に疎開するなど、子どもたちの生活も一変した。
戦争を乗り越えた子安の街は、再び発展。埋め立てられた子安浜には企業の工場が設立され、部品や製品を運ぶために1号・15号の2つの国道を整備して多くの車が往来できるようになった。それに伴い、安全確保のため児童が登下校時に黄色い帽子を着用するようになったのもこの頃だ。
今の学び舎へ
1982年に建て替えられ、36年の歴史を刻んだ前校舎に馴染みの深い人も多いのではないだろうか。金魚や亀、カルガモの親子が生息し南の方角を指す中庭の矢印型の池、児童だけでの通行が禁止された「シンデレラ階段」など、シンボル的な構造が多かった。
2010年頃、学区域内のマンション開発などにより再び児童が急増。校舎の老朽化や更なる児童の増加を考慮し、2018年に現校舎へ移転し、光・風・緑が調和する学び舎で今も歴史を紡いでいる。
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