高津区版 掲載号:2016年7月29日号
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高津物語 連載第九五六回 「府中県道」

当時の高津小学校
当時の高津小学校
 「府中街道」とは、目的地が東京都府中市で、更に「八王子道」ともいい、府中市では、川崎へ向かう「川崎街道」と呼ぶ。

 もともと府中街道は自然堤防で、下野毛から宮内に向かう府中県道左側は極端に低く、台風シーズンには氾濫した多摩川濁流を防ぐ堤防の役目をしていた。

 府中県道は、二子で旧道に入り、大きな石碑『史跡二子塚之碑』に出る。

 碑の裏面に「一王子村より八王子村迄あり、その内二王子村が二子村になった」と「高津文化協会初代会長」霧島雄三氏の説明がある。

 音韻変化からの立論は理解できるが、とても賛成出来る議論ではない。

 大山街道と交差する新道が開通すると、旧道は通らなくなり、皆新道を利用した(が、昭和四九年発行『府中県道』(白井禄郎編、多摩図書館発行)は、何故か旧道で記述されている)。

 同シリーズ『大山街道』で白井禄郎氏は「今の府中街道と大山街道交差点は、昔は三つ角でした。高津小学校の通りは出来て居ませんでした。この三つ角が十字路になったのは、大正七、八年」とある。高津町の川崎市との合併は昭和十二年(一九三七)三月三一日、神奈川県告示第二三五号で川崎市に編入された。家の裏門前が「府中県道」になり、猿渡自転車店があった。

 私は兄譲りの子供用自転車を習い、毎朝猿渡さん達と、高血圧で倒れた祖母の為、一升瓶を下げて、末長「徳盛舎ミルク・プラント」まで牛乳を買いに出かけた。小学校低学年で、暗い中に家を出、久本・新作を抜け、末長交番辺りで朝日が昇るのを観た。冬は寒い分、太陽が一層美しく、広い徳盛舎牧場のホルスタインの群れが今も脳裏にある。

 高津小学校跡地に「高津消防署」が出来、消防車が常駐し、木製の「火の見櫓」が立った。校長官舎が校門左にあり、宮崎校長が居られた。校舎の間にプラタナスが植えられていた。

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