高津区 コラム
公開日:2020.12.18
郷土史には記録されない、たかつの記憶をたどる
まちのこぼれ話
第17話 その2 森 正さん
◆年上の子が年下の子を守る【2】
運動会は騎馬戦があったね。家にあるものでお弁当を持っていきました。ごはんに、おかかや海苔、卵とか、そんなものが入っていたことを覚えています。
中学校は、中原まで歩いて、そこから南武線、小杉で東横線に乗り換えて自由が丘学園まで通いました。当時の中学校は、旧制中学で5年生までで今の高校のような役割でした。途中で3年制の新制中学に変わったけれど、私は長男で、家の農業を手伝うために旧制中学を5年で卒業し、新制中学には行きませんでした。
◆田んぼが火の海に
昭和20年4月15日だったかなあ、このあたりは空襲を受け、一面に広がっていた田んぼに焼夷弾が落ちました。想像できないですよね。山の方にみんなで逃げて家族は無事でした。私の学用品などは従妹が持ってくれた記憶がありますね。
家は全焼し、近くの圓融寺、遭乗院も焼けました。家にあった仏具や、農具、記録などもこの時に全部焼けて失くなってしまいました。だから父が何代目かも正確に分からないんです。防空壕もすっ飛びましたからね。梶ヶ谷の方は爆弾が落ち、父が片付けの手伝いに行ってました。
空襲はその後も続いて、今度は機関銃を積んだ戦闘機が飛んできて、バッバッバッと機銃掃射。あれは怖かったねえ。大きな爆撃機は爆弾落とすだけだけど、戦闘機は機関砲を打つから怖かったです。
でも「やられた」という人はいなかったんです。B17(爆撃機)も低空を飛んできたのを見ました。
ピックアップ
意見広告・議会報告
高津区 コラムの新着記事
コラム
求人特集
- LINE・メール版 タウンニュース読者限定
毎月計30名様に
Amazonギフトカード
プレゼント! -

あなたの街の話題のニュースや
お得な情報などを、LINEやメールで
無料でお届けします。
通知で見逃しも防げて便利です!











