生田緑地で1971年11月11日、研究者や報道関係者15人が犠牲になった「ローム斜面崩壊実験事故」。事故から50年の今月11日、メタセコイアの林にひっそりと佇む慰霊碑には、犠牲者を悼む花がたむけられていた。
午前、岡本太郎美術館と生田緑地共同事業体、同園整備事務所の職員も献花し、黙とう。美術館の古内久副館長は「この自然の中でかつてあった犠牲が今、多くの安全な土地開発に生かされている。静かに受け継いでいきたい」と語った。
同事故は、国立防災科学技術センターと関係機関が崖崩れの仕組みを解明する実験の最中に起こった。放水による降雨実験を続けて3日目の午後3時半ごろ、目的である「崖崩れ」が起こったが、想定を上回る泥流が関係者を襲った――。
多摩防火協会会長の岸井洋一さん(78)は事故当時、消防団員として現場に向かった。「泥の中でつっぷしていたり横を向いていたり、とにかく息をのむ光景。自衛隊まで出てきて徹夜で捜索した」。泥が流れ込んだ池から崖に向かって横一列になり、鉄の棒をついて被災者を探した。一歩ずつ進み、棒が衣服に当たったときの感触は忘れられない。「カメラを担いだまま亡くなっていた人もいた。すぐ近くの木につかまることができれば、助かったと思う」
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