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多摩区・麻生区 社会

公開日:2026.09.11

戦禍の記憶【2】 麻生区王禅寺西在住 樋口 勝也さん(94) 燃える隅田川を見た 東京大空襲を経験

  • 持ち出したアルバムから、父が撮影した幼少期の写真を手にする樋口さん

    持ち出したアルバムから、父が撮影した幼少期の写真を手にする樋口さん

 1932年、浅草出身。花街がある下町で生まれ育ち、足袋店を営む伯母の家で家族で暮らした。父は従軍記者、カメラマンとして外地を飛び回る生活。空襲の頻度が増し戦況の悪化を肌で感じながらも「過不足なく過ごしていた」が、45年3月10日、東京大空襲によりその生活は一変する。

 当時13歳、9日は学期末試験の最終日。連日の空襲警報に勉強の寝不足が重なり、疲れて眠った。夜、目覚めると表は真昼のような異様な明るさ。防空頭巾を被り一様に誰かの名前を呼びながら右往左往する大勢の人が目に入った。避難のため外に出たが「何か忘れていないか」と、とっさに靴を履いたまま部屋に戻り、空の通学鞄にアルバム2冊をねじ込んだ。

関東大震災を教訓に

 人の流れに乗って風下にある隅田川岸にたどり着いた。左手に製氷会社の広場があり、避難場所として大勢が逃げ込んでいたが「ここは危険」という母の一言で川下の隅田公園に向かった。関東大震災を経験した母は、人が密集し荷物に引火して大勢の焼死者が出る危険性を知っていた。「人が集まると逃げ場がなくなる。判断一つで生死が分かれた」。公園の高射砲陣地の方向から火柱が上がり、爆撃音が聞こえたため、再び川上へ。広場はますます人が増え、さらに川上の白髭橋を目指した。

 火の粉と煙、強風に目をやられ、たどり着いた橋の上から「燃える隅田川を見た」。地を這うように流れてきた炎が両岸から水面すれすれを走り、中心部で上空に舞い上り小船を燃やした。夜が白み安堵したが、蝋人形のように横たわる遺体を目の当たりにした。「もしかして家が残っているんじゃないかと思ったが、そんなことはなかった」。焼け跡には母のミシン、父がよく送ってくれたフイルム缶が転がっていた。道中、だるまに鉄兜をかぶせたような何かを見かけた。しゃがみこんで亡くなった人の姿だとわかったが、目を背けられなかった。

 「戦争は怖い」。防空壕に逃げ込むたびに、次は自分かと身震いした。同時に、耐え難い空腹も忘れられない。「恐怖は過ぎてしまえば一瞬。だが空腹は戦中、戦後まで長く苦しんだ。今の子どもたちにはそんな思いをさせたくない」

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今年で戦後81年。体験者が年々減少し、戦争の記憶が風化しつつある。当事者の記憶を後世に残すとともに平和の意義について考える。不定期で連載。

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