中原区の東南かつて存在した木月村。現在の1〜4丁目と伊勢町、大町、祗園町、住吉町にあたる。一説によると、地名は「築く」に由来して付けられたという。
行政上で用いられるようになったのは、1358年。当時は「きつき」と呼ばれていた。1940年、耕地整理により1〜5丁目と伊勢町、大町、祗園町が、42年に住吉町の町名が起立し、72年の区制施行により中原区木月となった。
全体的に平坦な多摩川と矢上川の沖積地で、北部は特に深い湿地だった。川が氾濫した場合に被災しやすかったため、村を形成するには堤防の「築造」が不可欠だったことや、村を「築き」上げたという意味を込めて名付けられたと考えられている。
「築く」に由来した地名はほかにも、島根県の杵築(きつき)や大分県の杵築(きつき)市などがあり、どちらも海岸の砂地を固めて作られた土地。「木月」と同様の意味が込められていると推測できる。
ちなみに、木月の西隣にある「井田」は「湧き水の多い場所」、北側に位置する「今井」は「新しい用水ができて開かれた場所」という意味が込められたと考えられ、現在の元住吉駅周辺は水に関連した地名の由来が多くみられる。
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参考文献:羽田猛『中原街道と武蔵小杉-写真で綴る周辺の今昔-』、日本地名研究所『川崎地名辞典』上、なかはら地元学実行委員会『わたしたちの中原』、新中原誌刊行会『川崎 新中原誌』
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