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柿生郷土史料館タイアップ企画 柿生文化を読む 第72回 麻生の寺院 妙福寺その2 後編文:小島一也(遺稿)

掲載号:2015年12月4日号

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 【前回から続く】中でも「祖師堂」は寛文十二年(1672)、池上本門寺から御下賜のもので、桃山時代の仏教文化を伝える貴重な遺構として、東京都重要文化財(昭和36年)に指定されております。「鐘楼門」は、延享三年(1746)建立の、楼上に梵鐘を掲げた、重厚なくぐり門形式の珍しい楼門で、町田市有形文化財(昭和59年)を受けており、山門(嘉永七年1854建立)も、高麗門と称される貴重な建築で、町田市の有形文化財となっています。惜しいことに、正徳五年(1715)建立されたとする「番神堂(=1日から30日までの法華経の守護神を祀る社)」は昭和初年に朽ち、文化財指定はありませんが、現在はその昔の茅葺風の優美な銅板葺きが建立されており、又、天和三年(1683)鋳造の梵鐘(三輪の地で鋳造の伝承あり)は、第二次大戦で供出させられましたが、昭和38年(1963)、人間国宝、香取正彦氏によって富山県の老子で製作され、現在その福音を近在に響かせています。

 なお、この寺の特徴は、風土記の謂う寺宝、夥しい仏像、書画、什器を蔵していることで、日蓮聖人御直筆の曼陀羅(仏の功徳の書画)、聖人書簡軸、釈迦如来坐像(室町時代作)、日蓮聖人座像(承応二年1653銘)など、多くの仏像があり、その多くは、木造、彩色、玉眼で、江戸時代造立の銘があり、曼陀羅仏画、人物画、花鳥図の軸には、縦179cm、幅72cm余の大型のものもあり、私も平成2年4月妙福寺開山600年遠忌の際、拝観しましたが、その数は夥しく、現在、本堂内陣には、その一部の襖絵が飾られています。

 この妙福寺が創建されたのは明徳二年(1391)。新田義貞の鎌倉攻めによって鎌倉幕府が滅び、この地方では、王禅寺の等海上人が禅寺丸柿を奨励した伝承(応安三年1370)の頃で、室町時代も早期といえるこの時期、何故、誰によって創建されたのか、風土記は「開山、開基を詳らかにせず」としていますが、その後の調べ(現住職渋谷辨要師)で、この地の地主、長裕、妙福の夫妻が、池上本門寺の名僧「日億上人」に土地を提供、長裕山妙福寺を創建したもので、長裕、妙福の俗は分かりませんが、鶴見川流域には鎌倉御家人以来有力農民が多く、日蓮が池上に没して100余年、これらの氏族が法華経に帰依して不思議はなく、檀徒の無い所に寺は建ちませんから、長裕、妙福は、当時、三輪の里に居を構えた、麻生郷の有力農民の「長」だったのではないでしょうか。

開山大慈院日億上人は、永享三年(1431)81歳の高齢で没し、開基長裕妙福の遺徳を偲んでの墓碑が、平成2年住職渋谷辨要師により建立され、応仁の乱、戦国時代を経た法灯は今も引き継がれています。

参考文献:「町田市史」「新編武蔵風土記稿」「妙福寺開山六百年」「ふるさと三輪」
 

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