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柿生文化を読む 第166回 シリーズ「麻生の歴史を探る」天明の大飢饉〜みさきの土塁〜前編 文:小島一也(遺稿)

掲載号:2020年3月6日号

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白井家に残る「みさきの土塁」詳しくは次回掲載分で。
白井家に残る「みさきの土塁」詳しくは次回掲載分で。

 天明3(1783)年7月、浅間山が大噴火を起こします。溶岩は麓の村々を埋没させ、熱砂は関東一円に三日間にわたり降り、農作物は大きな被害を受けます。この年は異常気象で、2月に江戸で大地震があり、4月から8月は大雨冷害で田植ができず、8月1日には台風が来襲し、疫病も蔓延して飢饉となり、加えて天明6(1786)年の関東地方は未曽有の大暴風雨があり多摩川・鶴見川は大洪水を起こします。

 この浅間山噴火に象徴される天災は3〜4年続き、これが世にいう「天明の大飢饉」で、幕府は農民に「粟・稗は勿論、木の実・草の根・稲藁は粉とし団子にして蓄えよ」と指示したとも伝えられています(読める日本史)。当時の江戸は八百八町、人口100万以上で、米価が高騰し、天明7(1787)年には江戸市中の米屋や富裕商家に対する打ち壊し事件が起きます。登戸の豪商玉川屋弥兵衛方が襲われたのもその時で、村人は多摩川原に出て、ホラ貝を吹いて警戒に当たったともいわれています。

 一方、天明6年の大雨は7月13日から17日まで降り続き、浅間山の灰塵で川底が高くなった小河河川の堤防は決壊、惨状を呈しますので、窮状、難民は村内にも起こり、村の名主・村民は、年貢の軽減を領主に訴えるなど「前代未聞の騒ぎにして・・・」と市史(志村家文書)は記していますので、麻生の地方も大変な飢饉に見舞われていたようです。

 この天明の大飢饉は、村の自治にも大変な影響を与えています。町田市史(渋谷家文書)によりますと、森野村(現町田市森野)では、名主、村役人により8か条の飢饉対策が定められ、その第1条には、正月春物の取り扱いは取り止めること。第2〜3条には、奉公人に期限が来たら暇をやること、給金は男1両2分、女3分とすること。第4条では、寺院への付け届けは半額とすること。第5条では正月の松飾(幕の内)は3日間とし、4日からは農事に励むこと。第6条では、酒は一切飲まないこと。第7条では、瞽女(ごぜ/三味線を弾き銭を貰う女)などは泊めないこと。第8条には、大工、木挽(こびき)などの職人の手間賃は1日当たり100文とするよう諸事、自粛・倹約を取り決めています。このことは森野村に限らず、たぶんに年貢減免の訴えで、天明の大飢饉は老中田沼意次の辞任、代わって松平定信(吉宗の孫)の寛政の改革へ続きます。

(参考文献)「細山郷土資料館発行文書」「読める日本史」「町田市史」「川崎市史」
 

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