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柿生文化を読む シリーズ「鶴見川流域の中世」中世人の生活の舞台としての鶴見川【6】 「鶴見寺尾絵図2」【1】文:中西望介(戦国史研究会会員・都筑橘樹研究会員)

掲載号:2021年1月8日号

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図 安達泰盛(蒙古襲来絵詞)
図 安達泰盛(蒙古襲来絵詞)

 鶴見郷については「鶴見寺尾絵図」の他に数点の史料が残されている。鶴見が史料に現れるのは、元久2(1205)年に畠山重忠が討取られた二俣川合戦に参陣した安達景盛の従者に加世次郎・鶴見平次等がみえる『吾妻鏡』が初見である。この鶴見平次は武蔵国鶴見郷の武士と考えられる。また、加世次郎が安達氏の被官であることは安達氏所縁の甘縄から出土した「今小路西遺跡出土の墨書木札」に三番「か瀬口」あるいは「かせ口入道」とあることからも明らかである。加世氏は賀勢・加勢・加瀬などの名字が宛てられる鶴見郷の対岸にある加世庄(川崎市幸区北加瀬・南加瀬)を名字の地とする武士である。「今小路西遺跡出土の墨書木札」にはこの他に鶴見区潮田を本貫地とする潮田三郎の記載もあることから、鶴見川下流域に安達氏とその従者(被官)の所領が集中している事に注目したい。鎌倉街道下が通る鶴見は鎌倉の防衛にとって重要な拠点であった事から安達氏を配置したのであろう。

 安達氏は源頼朝の流人時代からの側近で、幕府草創の功臣として幕府の中枢に関与してきた。仁治2(1241)年、鎌倉幕府は武蔵野の開発を計画するが、犯土のために将軍頼経の方違えの本所として安達義景の別荘鶴見郷に選んでいる。弘安8(1285)年に起こった霜月騒動では安達泰盛以下一門や縁者が多く討たれている。すると先に見た「鶴見寺尾絵図」の領主達の中には、霜月騒動によって安達氏の鶴見郷が没収されて、その跡に入部した人々も含まれているであろう。寺尾郷地頭阿波國守護小笠原蔵人入道長義はその可能性がある。

 この他に多摩川・鶴見川流域における安達氏の痕跡を追うと『尊卑分脈』に記された安達盛経の娘稲毛禅尼があげられる。この女性は稲毛庄に所縁があって稲毛禅尼を称したのであろう。

 元弘3(1333)年5月8日に新田義貞が上野国に挙兵すると、金沢(北条)貞将は5万騎の軍勢を率いて新田義貞軍の背後を突くために下河辺庄(旧利根川の流域で埼玉県春日部市・幸手町、茨城県古河市・猿島郡等)に向かう途中、鶴見河原で小山秀朝・千葉貞胤の軍に遭遇し敗れて鎌倉に敗走した。
 

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