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柿生文化を読む シリーズ「鶴見川流域の中世」 稲毛庄の定説を見直す〜稲毛庄と畠山氏の関わり【1】文:中西望介(戦国史研究会会員・都筑橘樹研究会員)

掲載号:2021年7月9日号

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図版1『畠山重忠』所収平姓指宿氏系図〇指宿文書より抄録
図版1『畠山重忠』所収平姓指宿氏系図〇指宿文書より抄録

 稲毛庄の地頭は稲毛重成であると言われるが、それを証拠だてる史料は存在しない。一般的に地名と名字が一致している事から稲毛重成を地頭としている。この他に地頭の前身である下司に長寛二年(1164)の被害報告書を作成した大江氏、武蔵七党の西党稲毛氏があげられる(『川崎市史通史編1』)。

 近年の中世武士団研究や庄園形成史研究の進展の中で、畠山重忠や稲毛重成を輩出した秩父平氏一族畠山氏の研究も進展を見せている。その研究の担い手の一人である清水亮氏は編著『畠山重忠』の中で、鎌倉時代初期における稲毛庄渋口郷の領主は畠山重忠の弟重宗であるという注目すべき見解を発表した。これまでの研究では重宗は「桓武平氏諸流系図」に渋江六郎と記されていることから、渋江(埼玉県さいたま市岩槻区)の武士であると考えられてきた。これに対して清水亮氏は「鎌倉年代記裏書」建保元年(1213)条における渋口六郎が正しく、「桓武平氏諸流系図」は渋口の口を江に誤写したものであるとした。さらに薩摩藩士指宿氏の家伝文書『指宿文書』に伝来した「平姓指宿氏系図」では重宗に「下口六郎」と注記を付けている。「下口(しもくち)」の読みは「渋口(しぶくち・しぼくち)」とほぼ一致している。

      (つづく)
 

図版2 稲毛庄内渋口郷等想定図『川崎市史通史編1』付録より抄録
図版2 稲毛庄内渋口郷等想定図『川崎市史通史編1』付録より抄録

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