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柿生文化を読む シリーズ「鶴見川流域の中世」中世史料・資料の隠れた宝庫 恩田郷(その2)【1】文:中西望介(戦国史研究会会員・都筑橘樹研究会員)

掲載号:2022年1月7日号

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写真 享保五年(1720)恩田村裁許絵図「青葉の村々と矢倉沢往還」より転載
写真 享保五年(1720)恩田村裁許絵図「青葉の村々と矢倉沢往還」より転載

 前回に引き続き元禄二年(1689)成合村・恩田村裁許絵図(以下元禄絵図と略)と享保五年(1720)恩田村裁許絵図(以下享保絵図と略)を用いて恩田郷の景観復元を試みる。

 「田畠」についてみると、元禄絵図では谷戸の大部分が水田化している様子が描かれている。人家の周囲や谷戸の奥部は畠になっている。丘陵上の平坦地は雑木林や野原の状態でほとんど開発されていない。恩田川左岸には恩田川から取水する上和田用水と奈良川から取水する待堰堀(用水)が描かれて、字堀ノ内と「部内最田地」(字地書上)と言われた字山ケ谷をはじめとする広い沖積地の水田を灌漑している。用水の成立時期の解明が待たれる。戦国大名北条氏が永禄二年(1559)に作成した『小田原衆所領役帳』では恩田郷は127貫文余であったが、天正十三年(1585)の「恩田郷検地指出」では232貫文余と1・8倍に増加している。『小田原衆所領役帳』からは畠が33町歩存在した事も読み取れる。江戸幕府が17世紀中頃に作成した『武蔵田園簿』には高1148石余で内訳は田方744石(65%)、畑方403石(35%)と、その後石高の大きな変化は見られない。この様に恩田郷では戦国期から田畠の開墾が旺盛に行われて、元禄絵図は開墾の一定の到達点を表していると言えよう。

      (つづく)

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