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麻生区版 公開:2022年6月10日 エリアトップへ

柿生文化を読む シリーズ「草創期の柿生中学校」柿生中学校の誕生まで【1】文:小林基男(柿生郷土資料館専門委員)

公開:2022年6月10日

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新制中学校16校の配置図
新制中学校16校の配置図

 昨年(※執筆当時。2017年)柿生中学校は創立70周年を迎えました。この節目に柿生中学校の誕生のいきさつを、校地はどのようにして現在の地に決まったのか、校舎はどうしたのか、教科書は最初からあったのか、そしてどんな先生方がいらしたのかなど、いまなお健在な遠い昔の卒業生の皆様から伺えたお話しを中心に記録することに致しました。

 柿生中学校は、1947(昭和22)年5月5日に、現在の麻生区の領域では、唯一の中学校として開校しました。それ以前ですか?それ以前には、麻生区はおろか川崎市の北部地域には、中学校は1校もなかったのです。何故でしょう?

 1947年という年は、日本がアジア・太平洋戦争に歴史的大敗北を喫して降伏した1945(昭和20)年8月15日から、まだ1年半程が過ぎた敗戦後の混乱期だったのです。戦前の日本では、義務教育は小学校の6年間だけでした。戦前長く尋常小学校と呼ばれていた小学校は、戦時中国民学校と改称されていましたが、都市・農村を問わず、各地の国民学校には、さらに2年間の高等科が設置され、また高等小学校とは別に定時制の青年学校も設けられていました。しかし、農村の子ども達や都市でも職人層や商店の子どもたちが、エリートコースへと繋がる5年制の中学校に進学することは、非常に稀だったのです。

      (つづく)

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