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公開日:2022.02.25
富士通スタ田中支配人
川崎球場の歴史ひも解く
球場遺構の価値言及
川崎球場の歴史を振り返る講座が2月13日、川崎区富士見の富士通スタジアム川崎で開かれた。プロ野球の本拠地をはじめ、高校野球、プロレス、アメフトなど、様々な興行が行われた名場面を同スタジアム支配人の田中育郎さんらが紹介した。
「川崎球場の過去・現在・未来」と題した講座は、川崎区役所と川崎区企業市民交流推進委員会が主催した。
1952年に開場した川崎球場は、その後、川崎富士見球技場に改称。15年からは命名権で富士通川崎スタジアムの愛称で川崎フロンターレ・東急コミュニティ共同事業体が運営する。
田中さんは戦後3年間だけ存在した高橋ユニオンズや大洋ホエールズ(現横浜DeNAベイスターズ)、ロッテオリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)が本拠地として試合を行った歴史に触れた。また、米大リーグのニューヨークヤンキースが練習したことや、長嶋茂雄(巨人)が入団初年に同球場で1試合3本塁打を打ったこと、王貞治(巨人)の一本足打法の初披露、日本シリーズでの池田勇人首相の始球式などを紹介。大洋の横浜市への移転反対には54万人の市民署名が集まったとも述べた。
参加者の中には、高橋ユニオンズ最終ゲームを観戦した男性や大洋の秋山登投手のシューズを磨いていたという女性もおり、それぞれ思い出が聞かれた。
この日は、高津区出身でプロ野球選手として活躍したタレントのパンチ佐藤さんがゲスト出演。パンチさんは小学校、武相高校、プロで本塁打を打った話、同球場でプロ入り初本塁打を打った試合に上田利治監督(故人)からかけられた言葉を懐かしそうに語った。
田中さんは同スタジアムに残る川崎球場時代からの照明塔や外野フェンス跡についても言及し、歴史的価値を訴えた。「川崎球場の名前が消えてしまったことが残念でならない。スタジアムはこうした歴史の連続の上にあり、遺構も残っていることを知ってもらいたい」と力を込めた。
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