幕末に現在の上溝に生まれ、その後明治天皇付きの医師(侍医)として活躍した偉人・伊東方成について、地域における認知度向上を図ろうと、地元の郷土史愛好家らを中心に様々な企画が進められている。まずは、伊東方成の命日(5月2日)にあわせて4月29日(土)に上溝公民館で俳句会を開催する予定。地元の偉人を学ぶことで、地域に対して誇りを持ってもらい、地域の活性化につなげたい考えだ。
伊東方成は、1832年、当時の高座郡上溝村久保の医師・鈴木方策の長男として生まれた。同村の医師・井上篤斎(1810〜1862)が主宰する寺子屋で勉学に励み、1849年、17歳の時に江戸へ。蘭方医・伊東玄朴のもとでオランダの医学を学んだ。その後、29歳の時、長崎に設立された日本で最初の官立洋式病院である長崎養生所でオランダ人軍医・ポンぺに学び、翌年、学友の林研海らとともに幕命でオランダに留学。1868年(明治元年)に帰国後は、明治政府に仕え、明治天皇付きの医師(侍医)として活躍した。相模原の偉人といえば、政治家・尾崎咢堂が有名だが、伊東方成も尾崎とともに「神奈川の百人」に選ばれている。生家である鈴木家には、「伊東方成生家の碑」が建立されている。
地域での認知度向上へ
上溝の歴史を調査・研究している市民団体「上溝を学ぶ会」では、2015年に発行した上溝地区内に点在する史跡や文化財を掲載した「かみみぞウォークマップ」を製作した際などに、伊東方成の名を挙げていた。そんな中、相武台在住の涌田佑さんが伊東について調査・研究し、まとめた成果を披露する展示会を昨年12月に開催。これを聞きつけた同会のメンバー・嶋田虎明さんと田口孝平さんらが中心となり、涌田さんと協力して、伊東について市民に知ってもらう機会をつくろうと、今回、俳句会を企画するに至った。
田口さんは「伊東方成について地元ではまだまだ知られていないと思う」とした上で、「調べていくと、上溝小学校の創設者など、上溝のまちの基盤をつくった偉人が伊東方成の周辺にいたことがわかる。伊東を知ってもらうことで、上溝自体をもっと知ってもらうことにつながれば」と期待を寄せる。その上で、「向学心を持って、日本のために、人のために努めた人が上溝にいたという誇りを感じてもらえれば」とした。
今後は、伊東方成について気軽に知ってもらう機会をつくろうと、4月29日に上溝公民館で命日(5月2日)にちなんだ俳句会を開催する。その後7月には、伊東の功績をまとめた展示会を行う予定。
問合せは、同館【電話】042・761・2288へ。
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