徒然想(つれづれそう) 連載 266花のお寺 常泉寺 住職・青蔭文雄
緑樹、緑陰の季節となりました。今月は「雲は晴天に在り、水は瓶(びょう)に在り」です。
出典は、中国、唐、
薬山惟儼(やくさんいげん)の言葉、『祖堂集(そどうしゅう)』です。
薬山惟儼が有名になったときに、朗州(ろうしゅう)の刺史(しし)(州の長官)であった李翺(りこう)は一度会い、都で説法するよう勧めたいと思っていました。しかし、師は山より出てきません。李翺は自ら薬山に会いに行くと、薬山はいつものように経典に目を通しているだけで振り向きもしません。そこで李翺は「見ると聞くとは大違いだ、顔を見るより名を聞いている方がよかった」と言いました。薬山は「李翺さん」とすかさず声を掛け「なぜ耳を貴び目を軽視するのか」と言いました。李翺は非礼をわびて「佛道とはいかなるものか」と聞くと、薬山は手で上と下を指し「理解できますか」と問います。李翺が「わからない」と答えた時に薬山が言ったのが冒頭の言葉です。
佛道はあなたのそばにあることを具体的に示し、薬山の目指すところは「よぼよぼ、へなへな、へまばかりで、まあなんとか過ごす」ことだと教えています。薬山の生き方は、ただ淡々と、一生を無事に過ごす事、ただそれだけですが、それが私達には難しい。
桃蹊庵主 合掌
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