徒然想(つれづれそう) 連載 270花のお寺 常泉寺 住職・青蔭文雄
彼岸の季節です。俳句では「彼岸」というと春の彼岸を指します。秋は、「秋彼岸」又は、「後の彼岸」と呼びます。
今月は「我は是れ凡夫なりと言わば、三世の仏を謗(そし)るに同(おな)じきなり」です。
出典は、中国、唐、不空(ふくう)訳、『五字陀羅(ごじだら)尼頌(にじゅ)』です。
意は、自分は愚かな迷っている者だと言うならば、それは過去・現在・未来の三世の仏を誹謗(ひぼう)することになる、ということです。
仏教の世界では、生きとし生けるすべてのものに仏性、すなわち仏の心があると教えています。つまり、自分の可能性を信じて、本来の自己、真の人間性を求めて、真摯に努力をひとつひとつ積み重ねていく姿が本来の人間の道であり、それが仏性で、仏の心ですと、師は教えています。
自分は、愚かだ、劣っている、と自分を卑下することは、厳しい修行をした方々をも卑下することになり、自分を卑下することは、努力して積み重ねる妨げになるので、己の可能性を信じて前に進むことが何よりも大切である、と説いています。
桃蹊庵主 合掌
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