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大和 人物風土記

公開日:2020.12.04

アメリカ発祥のラケットスポーツ「ピックルボール」のクラブを設立した
濱田 和博さん
下鶴間在住 69歳

仲間といつまでも

 ○…ピックルボールを知ったのはちょうど1年前。テレビの特集だった。八王子にクラブがあるのを知るとすぐに通った。テニスの経験もあったことからすぐにのめり込んだ。自分でやるだけでは飽き足らす、ついにはクラブを立ち上げるまでに。競技の普及はもちろん「仲間とやりたいんですよね」と目を細める。「クラブのない県央地域まで」と留まることなく輪を拡げていきたいと夢を語った。

 ○…下鶴間の生まれ。「自宅周辺の風景は昔から変わらない」と笑う。大学で始めた洋弓(アーチェリー)も新聞・雑誌で観て興味を持った。同じく大学時代に始めたスキーは、市役所に奉職後、クラブを作った。スキーの延長でテニスも。「全部中途半端ですよ」と自嘲するが、自らの好奇心に素直に従う。その原動力もやはり「仲間と」だった。

 ○…国家公務員だった父が自治連や社協の会長など多くの役職を引き受けていたこともあり、自身も自治会長や消防団、青少年指導員など多くのボランティア活動に携わる。「地元に長く住んでいますから」と事も無げ。クラブ設立では”一緒にやらない?”とテニス仲間を中心に声をかけた。「市役所の仕事も人のつながりがないとできない。おかげで声をかけると付き合ってくれる仲間ができました」と嬉しそうに相好を崩した。

 ○…羽子板のような「カン」という音がいいというピックルボール。クラブ設立後は週2〜3回、体育館で練習する。

夢中になりすぎ「テニス肘になっちゃって」とは、この人らしい。クラブの設立式当日も、コートのあちこちで世話を焼く姿が見られた。「集合写真を撮るの忘れちゃってねぇ」と頭を掻く姿を見て、さもありなんと思った。

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