記者で、映画『戦車闘争』の制作に協力した 小宮山 光賢さん 市内中央在住 77歳
記者版「人生の歩き方」
○…相模原市内の米軍施設からベトナムの戦場へ修理された戦車が、再び送られるのを、市民が道路を封鎖して止めたいわゆる「相模原戦車闘争」。相模原在住の小池和洋氏がプロデューサーを務めた映画「戦車闘争」のエンドロールに名前が登場する。「小池さんとは昔からの知り合いだったので、資料の提供や新聞記者のつながりで映画を取り上げてもらうよう頼むなど、後方から援護射撃しただけですよ」と恥ずかしそうに笑った。
○…大学の友人と一緒に作ったのが『地球の歩き方』。「まさかこんなに大きくなるとはね」と他人事のように感心する。家庭教育雑誌や教育系、工業系の新聞を経て、産経新聞社に移籍した。旧建設省記者クラブ当時、大和から霞が関へ向かうため乗り込んだ地下鉄が、霞が関駅に停車せず、通過した。その日の朝、地下鉄サリン事件が起きていた。「朝、真面目に通っていたら危なかった」と四半世紀前のことを昨日のことの様に生々しく振り返った。
○…山梨県甲府の出身。高校まで甲府で過ごした。中高の8年後輩の妻とは、見合い結婚。もうすぐ金婚式を迎える。新聞は毎朝、端から端まで熟読する。図書館通いも日課。「シリウスが休館になった時は本当に困りましたよ」と照れ笑う。趣味は山登り。毎年のように丹沢を縦走した健脚の持ち主。コロナ明けが待ち遠しい。
○…定年退職後も、アゴラ、スクールアメニティ、かながわ経済新聞など複数社の名刺を携帯し、依頼があれば取材に飛び回る。「パソコンさえあれば、記事も写真も送れるから」と事も無げ。ただ携帯電話の不携帯がしばしばで、「連絡がとれないことが多くて」と、それまで隣でフォローしてくれていた妻から苦言が入った。
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