徒然想 連載292 花のお寺 常泉寺 住職・青蔭文雄
今月は、何故私も死にゆく身なのだと言って、自分のことを嘆かないのか、です。インド、原始経典『ジャータカ』の文言。ジャータカとは、釋尊がいかにすぐれた行為を繰り返し、その功徳でこの世で仏になったかを示す仏教説話文学です。
この物語では、釋尊は前世ではある修行者でした。兄が一人いたが亡くなってしまった。親戚、知人などが集まって葬式が行われたが、修行者は悲しむ様子を見せなかった。「兄が死んだというのに涙一つ見せず、悲しむ様子のないのはどうしたことだろう」と人たちは不思議に思った。兄の財産をもらえるから喜んでいるのか、などと穿(うが)った声もあったことをこの文献は伝えます。これに対し修行者、つまり、後の世の釋尊となった人が「万物無常の道理にしたがって兄は死んだ。あなたたちも無常な存在で、必ず死にゆく身ではないか」と言い、冒頭の文言を説いたと伝えられます。
私たちはやがて訪れる死を嘆きませんが、身内や友人の死は死を身近なものと感じさせ、深く悲しみ、無常感を覚えます。無常ゆえ、今を大事に生きてゆくことこそが無常を超える道だと、古代の文献は教えています。
桃蹊庵主 合掌
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