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大和 コラム

公開日:2022.10.21

徒然想 連載295
花のお寺 常泉寺 住職・青蔭文雄

 今月は、大士(だいじ)の懐(こころ)を立つることは、但(た)だ自らの為には非ず。必ず先(ま)ず物の為なり、です。出典は、飛鳥、聖徳太子著『勝髪経義疏(しょうまんぎょうぎしょ)』。

 意は、菩薩が志を立てるというのは、決して自身の為ではない。必ず人々の為に何ができるのかという事が先に立って考えられている、ということです。

 大士は菩薩の意、物は衆生という意です。

 『勝髪経義疏』は、勝髪夫人(ぶにん)を主人公とするところから、推古天皇を夫人にたとえて仏教を勧めようとした聖徳太子の講経の記録と言われています。この文言は菩薩は「崇高な発願」をすべきことを述べたものです。菩薩の生き方とは、「上求菩提(じょうぐぼだい)、下化衆生(げげしゅじょう)」です。上に向かっては佛のように悟りを開くように願い、下に向かってはすべての生きとし生けるものを教化しようとする。あるいは「自未得度先度他(じみとくどせんどた)」(自分自身は後にして他の人々を先に渡す)となっていくのです。

 自分はまだ修行中にもかかわらず、まず他の人が悟りを得るように努力しなければならない。また、菩薩には自利(自分だけ)ではなく、利他(他人のため)そのものが菩薩にとって、自利の行であるのです。

    桃蹊庵主 合掌

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