大和 コラム
公開日:2022.11.18
徒然想 連載296
花のお寺 常泉寺 住職・青蔭文雄
今月は、迷えば即ち仏も衆生、悟れば即ち衆生も仏。愚痴なれば仏も衆生、知恵なれば衆生も仏、です。出典は、中国、唐、慧能(えのう)撰、『六祖壇経(ろくそだんきょう)』
意は、心が迷っているときは、仏も衆生です。目覚めてみると、衆生も仏です。心が愚かなときは、仏も衆生です。智慧が働くときは、衆生も仏、ということです。
一般に仏と衆生とは、天地ほど隔たりがあるように思われますが、仏とはどのような存在なのでしょう。寺院に安置されている仏像を思い浮かべますか。
仏の元の意味は「悟った人」。「人」という以上、人間を超えた特別な存在ではありません。ただ、一般の人間、すなわち衆生と違うのは、衆生がいまだに真理に目覚めず、愚痴に振り回された日常を送っているのに対し、仏は知恵を働かせて真理に目覚め、愚痴から脱却して何事にもしばられない人と言うことです。
迷いと悟りも、この人間の基本的な立場の違いを意味しているのであって、いわば「一枚の紙の表と裏」のようなものと、教えています。また、仏となるか、それとも衆生で一生を終えるかは、自分の生き方で決まると諭しているのです。
桃蹊庵主 合掌
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