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大和 コラム

公開日:2025.07.11

徒然想 連載328
花のお寺 常泉寺 住職・青蔭文雄

 今月は、人身は得難く、仏法は聞き難し。この身今生に向いて度せずんば、更に何れの生に向いてか此の身を度せん、です。

 出典は、中国、宋代、死心悟新(ししんごしん)の言葉、『死心悟新語録』。

 意は、人間として生まれるというのは、そんなに簡単なことではない。更に、優れた仏の教えを聞くことはもっと難しいことです。釈尊の教えを聞いたからには、この世において迷いを断つことを努力せずに、もう二度と来るかどうかわからないチャンスを期待しているようでは、とても釈尊の教えを自分のものにすることはできない。今ここで、命がけで仏の教えをものにしようとするほかに方法はない、ということ。

 人間として生まれたということでも考えが及ばないとすれば、仏教の書物を読んでも出会うとは限らない。更に釈尊の教えに出会うことが出来たならば、出会えた喜びを感じること、その教えを正しく受け取り、実行することが大切です。感謝の心は日々の充実につながることでしょう。

 師は説く、いつの日かという考え方でいたならば、「いつ」という日は永遠に訪れることはないと。

桃蹊庵主 合掌

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