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厚木・愛川・清川 社会

公開日:2022.03.11

体験生かし、将来へ
南相馬出身 安住悦子さん

  • 防災意識の向上につながればとの思いで取材に応じた安住さん

 厚木市に住む安住悦子さんは、福島県南相馬市の出身。11年前の3月11日、津波で実家が流され、両親と祖母は避難を余儀なくされた。



 安住さんは当時、息子を出産して約2カ月が経過したところだった。当初の出産予定日は、2月5日だったが、早産で12月24日に出産。入院している息子に母乳を届ける日々を経て、やっと自宅で家族揃って新しい生活をスタートさせていた。当初の予定通りであれば、出産して1カ月ほど経った頃に帰省しようと考えていたため、自身も津波に遭っていたかもしれない。そう考えると1カ月以上早く生まれてきた息子に「救われたのかも」と話す。



 実家は海まで歩いて2分ほどの場所にあった。両親は、仕事に出ていたため、助かった。祖母は、津波に流されるも、奇跡的に助かった。しかし、「生まれたら帰るね」と伝え、楽しみに待ってくれていた叔父を亡くした。当時、実家の地域の人々は、決められていた避難場所に避難したが、その避難場所は海と同じ高さだった。津波に襲われ、多くの人が亡くなった。安住さんは、「みんなそこが安全だと疑わなかったんだと思う」と振り返り、この経験から「『避難場所はそこで本当に大丈夫なのか』など、今一度身の回りを確認する必要があると思う」と話す。



 また当時、両親は、避難所で生活していたが、3日ほど経った頃に、原発の影響で再度避難するよう指示があった。避難所の食事の支度を担当していた母が「なんだかどんどん人が少なくなっていくな」と感じていた矢先だった。「母は、原発は安全だと思っていた。ほとんど何も知らなかった」。両親は、厚木市の安住さんの自宅に避難した。安住さんは、「身の回りで起きていることを学んでおくことが大事」と話し、震災以降、自分の身の回りのことについて、提供される情報だけでなく、少しでも疑問に思ったことは、自身でも調べて、情報を掴むようになったという。



 「家とか物とかは流されてもいい。地域のみんなさえ生きていてくれたら。命さえあれば地域を再生できたのに」。安住さんは、父が何気なく言ったそんな一言が心に残っているという。安住さんが高校を卒業後、進学のために上京するまで育った故郷は、人々が農業を中心につながり、子どもは大人が畑仕事をしているそばで遊び、地域全体で育てられるようなところだった。震災後、そんな故郷の風景をなくし、心に穴が空いたような経験をしたことで、安住さんはコミュニティの大切さを再認識したという。「私も厚木でそんなコミュニティをつくれたら」

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