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伊勢原 文化

公開日:2026.05.30

【寄稿】名古木の想いを込めた村祭り

祭礼に密着

 秦野市名古木に鎮座する御嶽神社では毎年4月第3日曜日に例大祭が行われ、2基の太鼓山車と共に大神輿と子供神輿が渡御する。私は令和8年(2026年)4月19日の大祭当日と前日の宵宮、および前々日の太鼓練習を準備から片付けまで取材をした。今回は、昨年からお付き合いをさせて頂いている太鼓連の方々の想いを織り交ぜながら、名古木の祭礼を紹介して行く。

 「相模国神社祭礼」は神奈川県内(旧相模国)の神社の祭礼を中心に紹介するウェブサイトで、祭りを通して地域の活性化につなげることを主な目的としている。

神社と神輿の歴史 〜台風による倒壊と復興〜

 まず、読者が最初に疑問に思うであろう「名古木」の読み方であるが、天保12年(1841年)完成の『新編相模国風土記稿』では「なこのき」と呼ばれていて、その後は現在の「ながぬき」という呼称になっている。同書では「第六天社」「御嶽社」「蔵王社」の3社を名古木村の鎮守としていて、明治6年(1873年)にこの3社が合祀されて現在の「御嶽神社」が総鎮守となった。同社の社殿は昭和7年(1932年)11月に関東地方を襲った暴風雨である、いわゆる「七五三台風」により茅葺屋根の社殿が倒壊し、現在でも倒壊時の写真が社務所に残されている。翌昭和8年(1933年)に現在の社殿が当時の秦野町曽屋にあった「安居院木工」、のちの秦野市名古木の「家具パーク丸福」によって再建された。社務所には同年の10月10日に新社殿の前で、修繕された大神輿と新調された子供神輿とともに、半纏姿の氏子が並ぶ記念撮影の写真も残されている。

 名古木の大神輿は大きく頑丈な蕨手が特徴で、この蕨手からは誰しもが伊勢原市三ノ宮に鎮座し、相模国三之宮である比々多神社の大神輿を連想するであろう。かつて三ノ宮では大神輿を倒していたが、名古木でも昔は田んぼや畑に倒したり、家の壁に突っ込んだりとかなり激しく担がれていたという。名古木の大神輿の製作者および建造年月は明らかになっていないが、地元では比々多神社から譲り受けたと語り継がれており、この神輿の謎もまた祭りの醍醐味の一つだと私は思う。

太鼓の歴史 〜発足と現在までの道のり〜 / 太鼓連会長:須山孝雄さん

 私が名古木の祭礼を取材したきっかけは、昨年の同地区の太鼓練習である。名古木に知り合いがいた訳ではなく、たまたま見学に行った私に声を掛けて頂き、さらには一緒に演奏までさせて頂いたのである。名古木の練習は3月中旬から毎週日曜日の16〜19時、大祭直前の月曜日から金曜日までは18〜21時となっている。練習では常に子供たちに寄り添い、指導に力を入れる男性の姿があった。

 名古木にある全ての太鼓の胴には「昭和五十二年十一月吉日」の文字があることから、現在の「名古木御嶽神社太鼓連」の発足は昭和52年(1977年)頃と思われ、現会長である須山孝雄さんが小学6年生の時である。当時の太鼓練習は大人も子供も隣の落合地区へ行き、太鼓の長老から叩き方を教わり、翌昭和53年(1978年)4月の例大祭から名古木で太鼓が始まった。須山さんはその直後に太鼓から離れていたが、32歳の時に当時の会長であった関野光治さんから子供の指導者として誘いを受けた。20年もの空白期間があった須山さんは、名古木太鼓の楽譜を参考に小太鼓を再習得し、楽譜を利用しての指導を始めると、その後は諸先輩方から習った大太鼓を子供たちに教えたのである。60歳の還暦を迎えた須山さんは、これからも太鼓好きの子供を増やすことに情熱を注ぐ。

宵宮の祭り太鼓 〜太鼓の魅力を次の世代へ〜 / 太鼓連指導者:石井勝太さん

 大祭前日の宵宮は朝8時半から準備が始まり、境内の掃除や社殿での神事の準備、注連縄張りや受付の設置、さらに太鼓山車の組み立てと神輿の捩り掛けなど、終わったのは夕方の17時であった。18時になると太鼓を叩く子供たちを山車1台と境内に立てられた櫓に振り分け、山車は全員が乗れるようにメンバーを入れ替えながら、3回に分けて触れ太鼓として巡行する。21時からは大人の時間となり、櫓では神輿の宮入りで演奏される曲を熱心に指導する一人の男性がいた。

石井勝太さんは小学3年生ぐらいに太鼓と出会い、当時は沢山歩いて担ぐ子供神輿から逃れる一心で、「太鼓連に入れば山車に乗れて、お神輿を担がなくて済む」という少々不純な動機で始めた太鼓であった。長くは続かないと想像される石井少年の太鼓は、気が付けば何故か40年も続いている。友人や家族からは「よくやるね!」「何がそんなに楽しいの?」「なんでそこまでやるの?」と言われるらしく、私も全く同感である。「太鼓のあの音やリズム、仲間との共演、毎回違うあの空気感にほれ込み、ここまで続けてきました。それでも、太鼓には言葉では説明しきれない魅力があります。」という石井さんの回答に、同じく太鼓にほれた一人として私の疑問は解決された。

 実は石井さんは実家がある名古木ではなく、名古木が太鼓を教わった落合に住んでいるが、名古木の祭りにはずっと参加している。ここ数年、祭りや神輿についても学びたいと思い、準備にも積極的に関わるようになると、祭りを知れば知るほど太鼓の魅力をさらに深く感じるようになったという。「太鼓の魅力は年齢や性別、経験に関係なく、誰もが一つの音でつながれるところにあります。みんなで練習して音がそろった瞬間、その場の空気が一つになる感覚は、何度経験しても特別なものです」。気持ちは現役、心は名古木。太鼓の魅力を次の世代につなげるべく、石井少年の成長はまだまだ止まらない。

大祭の神輿渡御 〜みんなの想いで神輿をつなぐ〜 / 太鼓連・祭り連:関野正喜さん

 大祭当日も朝8時半から準備が行われ、11時からは社殿にて神事が執り行われる。この年は新調した半纏のお披露目を兼ねて、神輿の前で記念撮影が行われた。名古木ではこれまで既製品の半纏を着用していたが、社務所に飾られている昭和8年の写真と同じ半纏を復元した。93年前と同じ半纏姿での記念撮影を担当させて頂いたことは、私にとって大変光栄であるのと同時に、この年に取材をさせて頂いた事に運命を感じた。

 12時になると威勢の良い太鼓に鼓舞されるかのように、大神輿と子供神輿が順番にお宮をお立ちし、秦野の伝統である「セリ」という担ぎ方には、近年、急速に広まる「どっこい」とはまた一味違う魅力に引き込まれた。驚くことはその渡御距離で、一区間のみトラックに乗せて移動するものの、19時半の宮入りまでは台車を使わずに終始担がれる。更に驚くべきことは、子供神輿も18時の宮入りまで担いで渡御することである。昨今の少子化による影響で、特にコロナ禍以降に子供神輿の渡御を取りやめる地区を数多く見てきた私にとって、名古木の子供神輿は衝撃的であった。後半には心臓破りの長い急坂を迎えるが、子供たちは大人に負けずと担いで登り切る。

 太鼓連の指導者の一人である関野正喜さんは、奥さんの啓子さんと一緒に祭りへ参加し、名古木で神輿を担ぐ団体である「祭り連」にも所属している。実は昨年の練習で私に声を掛けて頂いた人物が関野さんであり、関野さんがいなかったらこの寄稿は無かったであろう。関野さんは祭り好きだった祖父の影響もあり、小学3年生から太鼓の音色とかっこよさに憧れて祭りに参加するようになった。成長とともに神輿を担ぐようになると、地元以外の神輿も担ぎたいと思うようになり、高校2年生から今もお世話になっている天狗會に入った。それまで地元の祭りしか知らなかった関野さんは、市外そして県外へと他の祭りを経験することで、担ぎ方や太鼓の違い、祭りにかける情熱などに衝撃を受けた。神輿の愛好会での活動を優先した結果、地元の祭りに参加しない年が続いたが、天狗會の会長や副会長から「地元の祭りもしっかりやりなさい!」と指導を受け、地元の祭りに戻るようになった。他地区の盛大な祭りを経験した関野さんにとって、復帰当初は地元の祭りに物足りなさを感じていたが、地元に戻ったことで、それまで持っていた「祭り=太鼓と神輿」という概念から、氏子住民・自治会・子供会などの沢山の人が協力して作り上げる、準備から片付けまでが祭りだという事に気付かされた。「名古木の歴史や伝統を先輩方から教わり、そして学びながら、他地区で経験した良い面は取り入れ、名古木の古き良き伝統は継承していきたい。そして、子供や若者が名古木の村祭りの良さや楽しさを実感し、継承してもらえるように努力を続けて行こうと思っています」。広い視野と地元愛を兼ね備えた関野さんは、もはや名古木には欠かせない存在となっている。

伝統の宮入り 〜太鼓と神輿の心を一つに〜 / 太鼓連会員:飯田彩花さん

 9時間を超える道のりを経て大神輿は宮入りを迎える。神輿が境内に近づくと境内の櫓では宮入りを促す「ミヤショウデン」が演奏され、神輿が鳥居正面の階段に差し掛かると同時に「キザミ」という繋ぎの曲に切り替わる。普段、歩いて登る際には何も感じないが、神輿の傾きを見て初めて階段の急勾配に気付いた。階段を登りきると神輿をいったん下げて鳥居を潜り、再び神輿を担ぎ上げるタイミングで太鼓は威勢の良い「バカッパヤシ」へと切り替わる。暴れ狂う神輿は境内を勢いよく時計回りに大きく3周し、最後は社殿前で神輿を3回差し上げて宮付けとなる。神輿の宮入りは名古木の伝統であるが、宮入り時に叩かれる一連の太鼓の流れもまた名古木の伝統である。

 今年の宮入りの演奏で大太鼓を任された飯田さんが、初めて名古木の祭りに行ったのは3歳くらいの時である。父は神輿を担ぎ、姉は太鼓を叩く。そんな姿を見ながら小学生になり、自宅で姉に太鼓の叩き方を教えてもらうと、いつか一緒に叩きたいと思うようになった。「初めて太鼓に触れて、バチを初めて持った時のあのワクワクした気持ちは今でも忘れられません」。見るだけの祭りから参加する祭りになり、より一層楽しくなった飯田さんは成長するにつれ、より深く太鼓と向き合うようになっていった。2年前の宮入りでも演奏を経験している飯田さんだが、その時は不完全燃焼に終わり、今回、指名を受けた際は「やってやるぞ!」という気持ちになった。「実は3人が揃って練習できたのは2日ほどしかなく、正直不安も大きかったです。でも、本番で叩き始めた時、小太鼓2人の表情と音の力強さを感じ、“大丈夫だ、私達3人ならいける!”と確信し、最後に神輿が上がってバチッと決まったあの瞬間は本当に最高の景色でした」。

取材を終えて

 名古木は私の地元である笠窪から善波を挟んで伊勢原市に隣接しているが、近隣であるにも関わらず名古木の祭礼の情報は殆ど入ってこなかった。祭り連の会長である川口照彦さんに伺ったところ、昔は神輿が担げなかった時期があるとのことで、昨年まで既製品の半纏を着用していたこと、関野さんが外部の祭りに興味を持ったことを鑑みると、名古木の祭礼が低迷していた時期があったことが伺える。しかしながら、今回、躍動感のある太鼓に囃された迫力のある神輿渡御を目の当たりにし、氏子の努力により紆余曲折を乗り越え、盛大な祭礼が作り上げられてきたのだと実感した。名古木の祭礼の最大の特徴は氏子の方々が一体となって作り上げている点であり、関野さんのいう村祭りとはまさにこの一体感であると私は解釈した。また、近年は名古木を含む東地区において、お互いの祭りに神輿や太鼓の応援に行くという体制が構築されており、伝統文化の継承を促すという点では非常に素晴らしい取り組みである。今後も、この名古木の村祭りだけでなく東地区の全ての祭礼が後世に末永く伝承されることをお祈り申し上げます。

タウンニュース市民ライターとは

 「タウンニュース市民ライター」とは、(株)タウンニュースが認定する、地域の市民ライターです。市民の視点で地域の魅力を再発見し、情報を発信してもらいます。

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