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伊勢原 文化

公開日:2026.07.03

【寄稿】地域を盛り上げる円蔵の新たな挑戦 茅ヶ崎市円蔵の神明大神で行われる景能祭 タウンニュース市民ライター「相模国神社祭礼/添田悟郎」

  • 武者行列に参加したみなさん

    武者行列に参加したみなさん

  • 圓藏祭囃子保存会のみなさん

    圓藏祭囃子保存会のみなさん

  • 円蔵睦会のみなさん

    円蔵睦会のみなさん

  • 懐嶋景能役を演じた土橋敦史さん(左)

    懐嶋景能役を演じた土橋敦史さん(左)

  • 演劇に参加した宮崎佑菜さん(中央)

    演劇に参加した宮崎佑菜さん(中央)

  • 鎌倉もののふ隊代表の鎌倉智士さん

    鎌倉もののふ隊代表の鎌倉智士さん

  • 鎌倉もののふ隊の岡田英之さん

    鎌倉もののふ隊の岡田英之さん

祭礼に密着

 茅ヶ崎市円蔵に鎮座する神明大神(神明大神宮)の境内には、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて円蔵一体を統治した武将である大庭景義(懐嶋景能)が祀られており、平成14年(2002年)から毎年5月第2日曜日に景義をしのぶ「景能祭(がげよしさい)」が行われている。当初は同社を兼務する鶴嶺八幡宮の宮司による神事のみの祭礼であったが、令和5年(2023年)から地元の有志団体による模擬店や祭り囃子の演奏、武者行列や奉納演劇、円蔵の歴史ばなし等のイベントが行われるようになった。イベントは令和8年(2026年)5月10日(日)に4回目を迎え、私は朝の準備から密着取材へ向かった。

 「相模国神社祭礼」は神奈川県内(旧相模国)の神社の祭礼を中心に紹介するウェブサイトで、祭りを通して地域の活性化につなげることを主な目的としている。

懐嶋景能 〜円蔵の英雄 景能の生涯〜/ 鎌倉もののふ隊 代表:鎌倉智士さん

 景能祭では景能(※以下表記は景能に統一)を主人公とした演劇が、歴史活動団体である「鎌倉もののふ隊」主導のもとで奉納される。同団体は平成16年(2004年)に結成され、鎌倉を拠点に地域振興を行っており、鎌倉市および神奈川県の認定事業にも選定されている。代表の鎌倉智士さんは生まれも育ちも、そして本名も“鎌倉”で、保育士歴21年の本業が武士という異例な経歴の持ち主である。鎌倉さんは鎌倉一族の研究を続ける傍ら、鎌倉武士のガイドや甲冑づくりの講師、メディアへの出演(大河ドラマ「鎌倉殿の13人」など)や衣装提供など精力的に活動している。懐島郷(現在の茅ヶ崎市)を本拠としていた景能の生誕には諸説あり、大治3年(1128年)とする説もあるが、鎌倉さんは自身の30年間の研究から保延4年(1138年)頃と推測している。景能は保元元年(1156年)の「保元の乱」において源義朝に従軍したものの、源為朝の矢に当たって負傷し、これ以降は歩行が困難な身となった。現在の神明大神の境内には「懐嶋館址」や「大庭景能供養塔」のほか、景能にちなんだ石碑類が多数建立されている。

 鎌倉さんと円蔵との出会いは平成30年(2018年)に鎌倉市内で上演した「鎌倉四兄弟〜最後の晩餐〜」で、主人公の4人の兄弟のうちの1人が、神明大神にゆかりの深い景能であった。「円蔵でも演じてほしい」という依頼を受け、計画が始まったもののコロナで一時頓挫し、実現したのは5年後の令和5年(2023年)となった。脚本をつくるにあたり、治承4年(1180年)の「石橋山の戦い」で、鎌倉党でありながら源頼朝に味方をした景能が、中村党の岡崎義実の娘婿という説を採用し、建久4年(1193年)に義実と共に失脚しつつも御家人として復帰していくという、景能の智略を表現したいという思いがあった。そして、承元4年(1210年)に景能が死去した後の建暦3年 (1213年)の「和田合戦」で、大庭一族の多くが戦死してその立場を失ったことと対比し、一族を滅ぼさなかった景能の功績と遺徳をしのぶ歴史演劇にした。「少しでも円蔵の子どもたちが地元の英雄を知り、学ぶ機会になってほしい。地元に愛着や誇りを持ってほしい。その一助になれれば幸いです」と語る鎌倉さんは、今日も家臣を引き連れてイベント会場へ向かう。

景能祭 〜伝統と新たな挑戦〜 / 事務局長:古知屋智彦さん

 当日は朝9時に集合し、模擬店のテント張りや調理器具の準備、太鼓山車の組み立て、甲冑の着付けなどが行われる。10時半過ぎになると社殿左横にある「景能祭の碑」の前で、茅ヶ崎市の重要文化財に指定されている圓藏祭囃子の奉納演奏が行われ、11時からは社殿左奥にある景能像の前で神事が執り行われる。境内では睦会や消防団などが中心となった模擬店が始まり、焼き鳥やうどん、ジュースや生ビールなどが販売され、更には子どもたちのための射的も用意される。

 神明大神の副総代長である古知屋智彦さんは景能祭の事務局長を務めているが、もとはといえば前総代長の小室功さんに「鎌倉に“もののふ隊”がある」ことを伝えると、「それを景能祭に呼んで、行列や芝居をやれ!」と指示されたのが始まりであった。古知屋さんは何もないところから実行委員会を立ち上げ、自治会や睦会、祭囃子、消防団、老盛会に婦人会と一団体ずつ声をかけて会議を開いた。必死で試行錯誤しつつ開催にこぎつけたが、小室さんは直前に不慮の事故で他界した。無我夢中で構成を整えた矢先の出来事で、小室さんに観せることなく初回を終えたが、手ごたえを感じた古知屋さんは、どのように円蔵住民へ景能祭の存在を知らせるかを考える様になった。新しく引っ越してきた住民にも円蔵の祭りを知ってもらいたい、そして神社へ足を運んでもらいたいという思いで、毎年必死で取り組んでいる。「自治会活動に冷ややかな目もありますが、地域のコミュニティを築き上げるための一翼を担えるよう、神社でもなく自治会でもない実行委員会で、これからも試行錯誤して進んで行こうと思います」と語る古知屋さんは、円蔵から懐島郷を拠点に茅ヶ崎が発展する礎を築いた景能を隣の藤沢まで広め、坂東武士の子孫を確認するのが最終目標という。「4回目にして、途絶えていたと思われていた大庭氏の子孫が北海道と福岡で見つかり、800年の時を超えてこの円蔵の地で対面するという、歴史がひっくり返るのを目の当たりにして、もう一踏ん張りと気を引き締めるきっかけとなりました」。まだまだやる事は尽きないという古知屋さんの挑戦は今後も続く。

武者行列 〜円蔵に集う坂東武士〜/ 鎌倉もののふ隊 賛助会員:岡田英之さん

 13時頃になると武者行列の参加者が社殿前に並び記念撮影が行われ、古知屋さんの掛け声とともにお宮を出発する。行列は祭り囃子の山車に先導され、白無地の幟旗を手にした3名の武者を先頭に、弓や刀、そして薙刀などを手にした総勢55人もの武士が、3か所の休憩場所を経由しながら2時間ほど掛けて円蔵地区を練り歩く。

 今回で2回目の参加となる岡田英之さんは鎌倉もののふ隊の賛助会員として活動し、歴史をテーマにした街歩きや史跡のガイド、歴史講座の講師などを仕事としている。以前から円蔵では景能への愛が深いと感じ、同祭礼で奉納演劇をしていることを知り、武者行列と奉納演劇に参加するようになった。特に、今年は完成した岡田さん自作の鎧兜を着ての参加となり、何より嬉しく思った。「最近では横のつながり、縦のつながり共にどんどんと希薄になる中、円蔵の皆様のように老若男女問わずに盛り上がり、また、地元ゆかりの人物を顕彰する素晴らしさに感動しております」。自身のガイドや講座では歴史を楽しく学び、そして色々なことに気づいてもらうことを心掛け、次世代の日本を担う若者たちに日本の歩みを伝えたいと考える岡田さんは、まさにそれを体現するイベントが「景能祭」だと感じているという。早くも来年の景能祭を心待ちにしている岡田さんは、今日も横浜にある自宅から甲冑姿で電車に乗り現場へと向かう。

奉納演劇 〜挑戦・不安・感謝〜/ 円蔵睦会 前会長:土橋敦史さん、圓藏祭囃子保存会:宮崎佑菜さん

 奉納演劇の題名は「懐嶋の景能」で、初回の景能役は鎌倉もののふ隊が担当したが、2回目以降は地元の円蔵から著名な人物を選出するようになり、今年は睦会の前会長である土橋敦史さんが抜擢された。睦会は昔あった青年会からボランティア活動を主体とする団体として派生したもので、自治会イベントのサポート、カーブミラーの清掃、神社活動への協力などを行っている。「最初、古知屋さんより話しをもらった時は受けるべきと快諾しましたが、思った以上にセリフ覚えや所作で苦労しました。ただ、50歳を過ぎて芝居に挑むと言う新たなチャレンジの機会に恵まれ、しかも景能公という大役を仰せつかり、素晴らしい時を過ごす事ができました」。来年の景能役は誰になるのか、どんな風にやってくれるのか、今から楽しみにしている土橋さんである。

 圓藏祭囃子保存会の会員である宮崎佑菜さんは、神事前の奉納演奏で太鼓を叩くと、甲冑姿に着替えて武者行列に参加した。15時頃に一行が宮入りすると参列者はそのまま社殿の前に整列し、鎌倉もののふ隊と円蔵住民が一体となった演劇が始まる。しばらくすると鳥居をくぐって「御館様ー!御館様ー!」と叫びながら、参道を駆け抜ける一人の演者が気になった。その後も堂々とした台詞回しで、よく見ると見覚えのある顔であった。宮崎さんは円蔵で生まれ育ち、小さい頃から地域のお祭りに関わってきた。祭囃子保存会に入会してからは浜降祭や例大祭、大岡越前祭などに参加している。入会当初は知らない人も多かったが、地域活動を通じてだんだん仲良くなっていった。「お祭りの準備や太鼓の練習でも沢山の人と関わることができ、皆で円蔵を盛り上げている感じがして、毎年とても楽しく参加しています。また、地域の皆さんはとても優しく、お祭りを通してつながりがどんどん増えて、最近では年配の方から幼い子どもたちまで、会うと声を掛けてくれるのがとても嬉しいです」と語る宮崎さんは、今年の景能祭で大きな挑戦をすることになる。

 初めて役者として声を掛けられたのは本番のわずか10日前、しかも台詞を渡されたのは1週間前と、当初は「自分にできるのかな?」「失敗したらどうしよう・・・」と不安で一杯になったが、地域の方々の後押しもあり挑戦を決意した。必死で台詞を覚え、入念に動きも確認したが、リハーサル中の急な台詞変更により本番前で極度の緊張に襲われた。劇中も不安で一杯になったが、観客の歓声と笑顔を感じて嬉しくなった。「今回、奉納演劇に出演することで、これからも円蔵を盛り上げていきたい、太鼓ももっともっと上手くなりたいと思いました。これからも沢山の人に太鼓やお祭りの良さ、そして円蔵の良さを伝えていきたいと思います」。

取材を終えて

 私が円蔵と関りを持つきっかけは、令和5年(2023年)9月の神明大神の例大祭であった。茅ヶ崎市内の祭礼を見ること自体が初めてで、早朝の5時半から神楽殿で祭り囃子が演奏され、大神輿が6時にお発ちするという異例な光景に、強い衝撃を受けたことを今でも鮮明に覚えている。その年に景能祭のイベントが始まったとは露知らず、今回、初めて見た景能祭の衝撃は例大祭をはるかに超えた。異常な盛り上がりを見せる景能祭は、誰もが長年に渡って築き上げられてきたものと思うが、神事以外のイベントは僅か3年前に始まったばかりである。

 私も地元で自治会に加入している立場として日頃から感じることは、高齢化を理由に自治会を脱退する世帯は後を絶たず、新しく引っ越してくる若い世代で自治会に加入する世帯は少なく、残された会員の負担はますます増えるばかりである。少子化により小学校の登校班は統廃合を繰り返し、子供会や育成会などの解散は日常茶飯事である。このように自治会だけでなく地域のコミュニティが急速に衰退する中、しかも、コロナ禍で衰退に拍車がかかった状況で、この円蔵の挑戦は正直“無謀”としか言いようがない。が、実際の景能祭を見た率直な感想は、ただただ純粋に“楽しい”の一言である。祭礼の醍醐味は何と言ってもその非日常性であり、タイムスリップしたかのような甲冑姿の武士たちが拳を振り上げながら町中を練り歩く光景には、参加する側も見る側も共にテンションが上がる。そして、境内で繰り広げられる観客を巻き込んだ演劇は、もはや素人演芸をはるかに超えた仕上がりとなっている。このようなイベントを実現できる自治会は日本全国でも円蔵しか考えられず、円蔵だけでなく茅ヶ崎市、神奈川県、日本、そして世界中の人々にこの景能祭を見てもらいたい。「皆のもの!鬨の声を上げろ!エイ、エイ、オー!」

タウンニュース市民ライターとは

 「タウンニュース市民ライター」とは、(株)タウンニュースが認定する、地域の市民ライターです。市民の視点で地域の魅力を再発見し、情報を発信してもらいます。

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