半身麻痺や高次脳機能障害などのハンデをもちながら音楽活動を続けている 柳田 誠さん 馬堀町在住 64歳
「死ぬこと以外は”かすり傷”」
○…半身麻痺や失語症などの障害を抱えながら、ドラマーやウクレレ奏者として活動する。12日に都内で行われた音楽コンテストでは、千人以上の観客の前で演奏。懸命にドラムスティックを叩きながら、深みあるバリトンボイスとユーモアあふれる演出で聴衆を沸かせた。脳梗塞で倒れたとき、「99%の確率で二度とドラムは叩けない」と医師に言われてから8年。ひとつの区切りとなる大舞台の成功に、安堵の表情を浮かべる。
○…日産自動車ラグビー部で選手として活躍した後、監督業に専念。20歳のときに掲げた人生設計通り、30歳で横浜から海との距離が近い馬堀町に移り、念願のマイホームを手にした。病に倒れたのは、50代になり起業準備に東奔西走していた矢先のことだった。2人の息子の顔が認識できず、テレビの音声スピードにまったくついていけなかった。「なぜ自分なのか」。万事順調だった人生から一転、まるで一人世界からとり残されたように思えた。
○…リハビリのために始めたウクレレは、奇しくも幼少期に習っていたバイオリンと同じ4弦。ほとんど動かない指に辟易しながらも、完璧に演奏しているイメージを何度も頭で繰り返し「脳を騙しながら」曲目を増やしていった。ドブ板でのライブなど活動の幅は広がり、バンド仲間や障害者支援で繋がる人たちからは「ダディ」の愛称で親しまれている。「音楽を介せば、誰とでも意思疎通ができる。”心のバリアフリー”が目標です」
○…障害のため、今も定期的な酸素吸入が必要だが、体調に応じて自転車やダーツを楽しむ余裕も生まれた。「不屈の精神はラグビーで教わった。悲しいことがあっても、命さえあればあとはかすり傷みたいなもの」と優しく笑う。今力を入れているのは障害者支援。「自分と同じような人が活躍の場をもっと広げられるよう、今できることを精一杯やりたい」
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