浦賀コミセン分館で開かれる「青い目の人形展」を企画した 仲野 正美さん 粟田在住 77歳
歴史の余白に目を向ける
○…日米の平和と友情の架け橋として、子どもたちが人形を贈り合う。95年前に巻き起こった親善活動に光を当てる。取り組みの全体像を伝えながら、浦賀地域にも残る人形の記憶に触れていく。約20年前にも実施した企画展だが、過去の焼き直しではない。「世界情勢が緊迫している今だからこそ、平和を希求する精神を伝えていく」
○…日本中の小学校に贈られた「青い目の人形」は約1万2700体。一体ごとに衣装や体型、デザインが異なり、横にすると目を閉じて「ママー」と声を発するものもあった。そのお礼として「答礼人形」と呼ばれる58体の市松人形が子どもたちの「一銭募金」で制作されて届けられた。美談として語られる物語ではあるが、背後にあるのは世界不況を端緒とする両国の緊張関係。政治的な思惑が絡み合うキャンペーンであり、融和策の一つとして知恵を絞った先人たちの努力に思いを巡らせる。
○…教員時代、小学校の周年事業に携わることがあり、校史を読み返すと「青い目の人形」が目に留まった。史跡調査を担当していたこともあり、研究者の血が騒いだ。市内の小学校で調査を進めると、高坂小の人形には「ベットロー」の名前があり、盛大な歓迎式を催して迎えたことや浦賀小の児童がアメリカに礼状を30通発送していたことなどが分かった。
○…高坂小に人形を抱える初代校長の写真が残されている。大戦時、人形は「敵性」としてその多くが処分されていったが、その人物が戦中に赴任していた葉山小で、戦後しばらくたってから「メリーさん」と呼ばれる人形が発見された。「思いや時代背景などを勝手に想像すると、平和の証をそっと隠していたのかもしれない」。歴史の余白にも目を向ける。
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