OGURIをあるく 〜小栗上野介をめぐる旅〜第10回 対馬編【4】文・写真 藤野浩章
目指す場所は「ロシア軍艦泊留(はくりゅう)地跡」。看板に描かれた地図を見ると3キロ弱の一本道で、迷うことはなさそうだ。
道の途中には「芋崎(いもさき)砲台跡」という史跡があるから、整備されたなだらかな道を勝手に想像していたが、スタート早々に急坂が現れ、出鼻をくじかれる。後で分かった事だが、地形図では一気に百m上ったと思えば数十m下るような小さな峠が連続するジェットコースター的な道だったのだ。
しかも鬱蒼(うっそう)とした広葉樹林から大量の落ち葉が道いっぱいに何層も敷き詰められているうえに、木の根が無数に顔を出していて、とにかく足場が悪い。時々「あと○m」という小さな看板があるが、道がハッキリせず、ふと見ると下は急峻(きゅうしゅん)な崖。とても"史跡ハイキング"という牧歌(ぼっか)的な雰囲気ではない。
歩くこと約1時間。突然、芋崎砲台跡が現れた。しんと静まり返った森の中にたたずむ、重厚な石の建造物と高い石垣。他の要塞は比較的物資が運びやすい場所にあるが、こちらは完全な山の中だ。よくこんな所に石を運んで造ったな、というのが最初の感想だった。
建物に刻まれた文字を見ると、明治21年9月竣工とある。東京湾要塞の1つである猿島砲台の4年後だから、いかにここが重要視されていたかが分かる。奥には後に増強されたという弾薬庫が。こちらは猿島とは違いイギリス積みのレンガで造られていた。結果、石とレンガのハイブリッドな要塞となったが、小栗が立ち向かったロシアの脅威が、こんな堅牢な砲台を造らせたのだろう。
しかし今回の目的地はさらに五百mほど分け入った場所。本当の難関は、これからだった。
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