「その絵の題材となった写真は、私が撮ったんです」――。編集室にこんな電話があったのは1月のある日。元旦号で掲載した当紙コーナー「逗子今昔水彩画」を見た、久木在住の小泉保哉さんからだった。当時の話を詳しく聞いた。
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逗子海岸を背景に、笑顔で仲睦まじく歩く着物姿の家族。1955年、当時高校2年生だった小泉さんが浪子不動へと初詣に行く祖母、両親、妹を撮影したものだ。
東京で生まれ、終戦後に別荘のあった現在の場所に移り住んだ一家。「当時は周りに5軒しかなかった。新宿のお稲荷さんへ行き、海岸線を歩いて浪子不動へ初詣するのが正月の恒例行事でした」と振り返る。
家族の自然な表情や、正月の清涼な空気感を切り取った撮影の腕は父親譲りだ。「父の趣味がカメラで古いやつをもらったことがきっかけ」。中学3年の時、「逗子市観光写真コンクール少年の部」で入選したことも転機となり、カメラを持ち歩く生活が始まった。大学は写真部が有名な早稲田大学へ。様々なコンクールに入選したほか、雑誌や新聞にも作品が取り上げられたという。
その後、就職してからは一旦カメラから離れたが、引退後に復活。数年前に足を悪くしてからは、出歩くことが難しくなったが「眺めたり、いじっているだけでも楽しいですよ」と当時使っていたカメラを少年のような眼差しで見つめながら言った。
小泉さんは一昨年、逗子市が街の写真を保存しホームページ上で公開している「逗子フォト」に昭和30年代前半の風景写真200点以上を提供。かつての逗子の風景を後世に伝えている。
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