12月に10周年を迎える「鵠沼郷土資料展示室」の運営委員長を務める 中島 知子さん 鵠沼石上在住 83歳
人に尽くして心豊かに
○…市内初の郷土資料展示室の運営委員長として10年、鵠沼に関する資料収集や企画展に奔走してきた。「どうしたら鵠沼の歴史や文化を共有し、次世代に伝えられるだろうと、開設前には資料室のある大和市まで見学に行って勉強しました」。展示テーマや方法も各々の意見があり、苦労もあったが、歴史・文化など多岐に渡る企画展は30回を数える。現在は運営委員12人、協力員30人が当番制で常駐する展示室として市民に親しまれている。「ここは好意のかたまり。協力員さんが居なかったら、とっくに潰れていますよ」
○…東京生まれ。女学校3年時、一時疎開した横浜でB29の爆撃を逃れ、終戦後はひとりで秋田や埼玉の親戚のもとへ。「クリスチャンの母は戦災孤児の施設へ行っていたこともあり、つらい経験でしたね」。その後、日赤病院の看護師として樺太行きの引揚船に乗船、つらい思いをしているのは自分だけではないと気づかされた。「日本語を話せない邦人がほとんど。でも、これから皆で頑張ろうと心から声援を贈って」。つらい戦争体験、母と日赤病院から教わった奉仕の心が現在の礎となっている。
○…結婚後藤沢へ。「たっぷり子どものそばに居てあげたい」と10年は子育てに明け暮れた。PTAや子ども会の会長などを務め、キャンプや遠足を企画・運営するなど、リーダーシップを発揮した。その頼りがいのある仕切りと何事にも動じない精神力で皆のお母さん的存在に。「世話役が好きなんでしょうね」と笑う。
〇…8年前、鵠沼ボランティアセンター「ささえ」の設立メンバーとして尽力し、現在はセンター長に。高齢者宅の電球替えや買い物代行など、ボランティアは「無償で行うことが大切」と訴える。「こちらこそ元気だから、やらせてもらっている。逆に元気をもらって心が豊かになる」。スケジュールで一杯の手帳を手に、今日も、母なる無償の愛を多くの人に届けている。
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